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September 2011

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鈴木多聞 著、東京大学出版会、2011年2月

   
Japan's Long Road to Surrender : A Political History 1943-1945という英語題が良い。日本と日本人には、敗北と降伏の決断に、絶望的かつ潰滅的な長い長い道のりが必要なことを如実に示している。

    趣味として大好きな戦前〜戦中の現代史なのに、その歴とした学術研究書を読むのは初めてであると気づき、我ながら唖然としてしまった。軍事雑誌や読み物の知識ばかりで偉そうに語っていては、まことにまずい。

    1945(昭和20)年8月、ポツダム宣言受諾の「聖断」が下り、戦争が終わる。この終戦の決定には、「原爆投下」と「ソ連参戦」の、どちらの影響が大きかったのか。 高校日本史の授業では、「ソ連参戦」の方が大きいという説明がなされていた。その理由は「国体護持」つまり天皇制の維持が絶対とされる中で、共産主義のソ連の占領を受ければ天皇制の継続は認められないと中枢は考えたからである、というものだった。当時の私は、戦争終結に、あくまで国家体制維持のみが問題とされ、原爆被害を含めた軍民の余りに多い犠牲者のことは、欠片も考慮されなかった、という事実に(すでに薄々気づいていたとはいえ)心の底から嫌な思いをしたものだ。

    本書では資料や先行研究を元に、天皇を含めた当時の中枢の動きを、1943年9月の御前会議から丹念に追い、『「終戦派」と「継戦派」の対立』や、『原爆投下かソ連参戦か』といったこれまでの図式を塗り替える。

    一次資料に立脚し、政治的決断に関わる軍事・作戦・情勢の変化、それを受けて生じる、各個人の心情の変化を推し量る方法は、非常に説得力があり、得心できるものである。

    現代の人間は、
暗黙のうちに「敗戦」とその後のアメリカの影響下における  「復興」が起きることを前提とした歴史解釈をしてしまい、当時の人間たちはそのような「未来」を予期なぞできないという点はなかなか考慮できない。また、当事者たちの判断も、それまた彼らが当時知る歴史とその解釈を踏まえていることもなかなか気付かない。

    昭和天皇死去から四半世紀近く、敗戦から半世紀以上も過ぎたことで、生き残った者たちの生々しい歴史には触れにくくなったものの、このように遠慮なく客観的な歴史観が提示されることは素晴らしいことである。そして半世紀というのは、ぎりぎり当時の人間や思考の前提を想像できるか否かというところに思える。未熟者だから、踏まえた気になれるというだけかもしれないが。

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    昨日、9月2日は東京湾の戦艦ミズーリにおいて、大日本帝国が降伏文書に調印した日である。その66周年記念日の宝島社の新聞見開き全面広告は、皮肉が効きすぎていて面白かった。

    日本占領統治のため、厚木基地に到着した輸送機から、パイプをくわえタラップを降りる、マッカーサー元帥 (General of Douglas MacArthur) の有名な写真。そしてその上辺に、「いい国つくろう、何度でも」との大書き。

    つまり、「いい国」でない日本は「戦争」に敗北し、ここから「復興」を遂げねばならぬわけだ。

    可能だろうか。

    60年前の戦後復興は、理想主義的なGHQの指導、戦犯の公職追放による権力層の一掃、潰滅した基盤を復活させる需要、貧困から抜けだそうという向上心に溢れた人心など、成功を説明可能な要素が非常に多かった。

    では、現状はどうか?疑問符を付けざるを得ない状況だが、新政権には奮励して頂きたいものだ。

    なお、この写真が実際に撮影されたのは8月30日、玉音放送から2週間経った時で、9月2日ではない。

 


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