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July 2012

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    高村薫 著、講談社単行本版

    高村薫の小説が大好きな我が母曰く、「彼女の作品は男女、夫婦の人間関係がよく描けている」 と。

    母の真意は未だわからず。他の作品も読み込むしかない。

    『いや、そもそも無理だったのだ。  もともと持っていたものを投げ捨てて、お前はいったいどこまで来たのだ。   青い色が好きだったのに無理に赤い色を着て、無理を重ねて、どこまで来たのだ。   これからどこへ行くのだ。  それが分からない。 持っていたものとは違う方向へ走り続けた今、自分はほんとうは何が好きだったのか、何が心地よかったのか、何が欲しかったのかも分からなくなっている。 これがお前だ。
    お前は今はどこにおり、これからどこに行くのだ。


    三十路を歩む男の内省。ドロドロとして重厚な、得体のしれない、触れてはならない精神の内幕。

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    学生運動の勉強?の続きということで、「赤軍‐PFLP 世界戦争宣言」をGoogle Videoで観る。

   延々と続くPFLPの訓練風景やレバノンの日常風景をバックに、PFLPの戦士や、日本赤軍兵士へのインタビューが続く。

    終盤の重房信子のインタビューが特に印象に残った。熟語の多い言葉使いで、高級なことを言っているようだが、聞いていると、びっくりするぐらい、何を言いたいのか、まるでわからない。というよりそもそも文章として全く理解不能。

   外部の人間に向かって語っているようで、自己の文章の中で循環しているだけにしか聞こえない。

    これは学部生の時に、一般教養の授業の教室に置かれた敗残(?)勢力のビラを読むたびに感じた、「政権交代もチュニジア革命も何でもかんでも資本主義勢力がー労働者がーと書く、厚顔無恥の牽強付会もいいとこだ」という感想とも違う。本当に空っぽな、神懸かりの空虚さとでも言えようか。それが、宗教的な「神」と相容れないはずの「共産主義者」の口からツラツラと出てくるというのは笑えるけれども。共通点は中身の無さか。

    この空虚さは、大日本帝国の、特に破滅に向かう時期の文章を読んだ時に感じるものとほとんど同じだ。抑圧された人民を解放するという大義名分には共感できなくもないが、その「実践」とやらが、仲間うちにしか伝わらない、というよりも自己催眠の呪文のような言葉を吐くばかりでは、そりゃあ新左翼も潰滅するよ。

    半世紀近く経って、彼らの運動の結果を知っているから、馬鹿じゃねえのと考える可能性は排除できない。だが、少なくとも今の私は、彼らの運動には欠片も共感できず、理解もできないことは、はっきりした。

    蛇足に、映像中で、PFLPの兵士が毛沢東語録?を開いてるのを見て、あれ、偶像崇拝禁止のイスラム教徒じゃないの?と思ったが、PFLPの創設者は東方正教徒で、世俗派なのか。難しい。


    

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    若松孝二監督のDVDを徹夜で見る。

    山本直樹の「レッド」を読んでいるおかげで、時代背景や人物関係がかろうじて追える。事件の詳細よりも、各個人の心理描写を重視している感じ。メンバーが次々と「総括」されていく様が不快極まりなくて非常によい。

    終盤の「勇気がなかったんだ」という叫びは、本当に勇気を出さなければいけない瞬間には、勇気は絶対に出せない、狂気が支配する集団内で、自らが生き延びることと、勇気を出すことは、完全に矛盾するという事実を、証明するものに他ならぬ。

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