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January 2015

フリョ記 −不慮なる旅記−【後編】

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 2009年2月、冬の津軽海峡線で、列車遅延に巻き込まれたときの記録。

 「フリョ記」【前編】から続き

  
2月21日昼 函館駅ホーム 「何時に着くかわかりません!」

 12時間近くも滞在した客車から追い出され、とりあえず駅の待合室で休もうと思ったが、6番ホームに早くも「スーパー白鳥」の自由席を求める列ができ始めている。発車予定時刻まで3時間もあるというのに。うんざりだがすぐに並んだ。

 湯の川温泉には高級旅館しか見当たらないことを確認してきたNを呼び戻し、場所取りを代わってもらう。さっきの「弁当」では全く腹が足らなかったので、改札を出てラッキーピエロという函館名物のハンバーガー屋に行き、チャイニーズチキンバーガーとポテトフライを買い求めて引き返す。空はどこまでも蒼く、海峡の向こうが大荒れになっているとは信じられない。HAKODATE DOCKの大ガントリークレーンもよく見えた。

 函館駅のみどりの窓口でとぐろを巻きまくった長蛇の列は待合室をも完全に埋め尽くしている。列に戻ってハンバーガーを腹に入れてしばらくした後、さっきの老夫婦が現れた。「はまなす」急行券を払い戻し、私が教えた通り、青森から秋田までの特急「かもしか」3号の指定券を取ってきたという。これから乗る特急「スーパー白鳥」22号の指定券は全部売り切れだったらしい。窓口の行列が大変だった、と言うや否や、「列を取っておいてくれたことにしちゃおう」とそのまま我々のすぐ後ろに入り込む。さっきまで、我々のすぐ後ろに並んでいた家族連れから「知り合いですか?」と、かなり険の入った感じで言われたが、Nと二人で「知り合いですよ、ホントに」と答えるしかない。まさか、追い出せますかいな。「知り合い何かなんでもありじゃんね…」などと後ろでブツブツ言うのが聞こえるが、気にしない。

 函館本線は順調に動いているらしい。札幌から到着した特急「北斗」からも客が吐き出され、青森行きの自由席に続々と並ぶ。人々の列はグネグネと曲がって、最後尾は何処?という感じである。超懲長蛇の列。

 Nとこのような悪天候時(のみ)における北海道新幹線の有用性について喋った後、12時30分、「スーパー白鳥」22号に乗務する車掌たちがホームに現れた。

 青函トンネルの北海道側は、この列車に合わせて除雪が完了する。東日本側、津軽線は倒木除去と除雪が、列車の運行までに終わるかどうかわからない、だがとりあえず列車を動かす、と説明が行われる。最後に、「正直言って青森に何時に着くかわかりません」という発言があると、並ぶ客達から乾いた笑いが起こった。

 もう笑うしかないってか。

 数分後、入線してきた「スーパー白鳥」22号は8両編成だ。789系の基本編成6両に2両を増結している。しかし増えたのは指定席車であり、自由席車は元の2両のままだ。全くせこい商売をしやがる。この行列が目に入らんのかぁ!

 指定席券は全て売り切れていること、指定席車両の扉から自由席車両に入らないようにとの放送が繰り返され、自由席に並ぶ客が粛々と車内に雪崩れこむ。後方からの圧力だけで中に入り、車内ではやや急いでNと隣り合った席を確保する。老夫婦もその後ろになった家族連れも、無事席に着けたようだ。貫通扉には指定席車両からの不法侵入を防ぐべく車掌が配置されている。あっという間に乗車率は200%を突破、それでも当然大行列の客を捌き切れず、指定席の通路も開放すると案内があった。窓の外の客がゾロゾロと移動していく。車内放送も続く。

 「この列車は青森行きの始発列車です。正直申しまして到着予定時刻を案内することができません」
 「現在青森では大規模な停電が発生しており、3万6千世帯で停電しております。しかしJR分の送電は確保いたしました」
 「ご乗車がまだの方がいらっしゃいますのでもう少々お待ちください」

 ホームに立ったまま、乗らない客もいる。次の列車の自由席の着席を狙うのか、それもなかなか賢いかもと思っていると、22号の次の列車である特急「スーパー白鳥」26号の運休が決まりました、と案内が入る。ホームに残っていた客も乗せ、ようやく函館を出た。13時5分のことである。

 津軽線は現在除雪作業中で、沿線6カ所で倒木が支障しており、列車の遅れが見込まれる、通路にいるお客様は御手洗の使用に支障があるから詰めてくれ云々との放送が流れたのを聞いて、意識が飛んだ。寝不足もいいところなので当然である。

 さっきまで、こんなに何時間も並んで席確保して何の意味がある、などとほざいていたが、考えが浅すぎた。これは座れないとキツい。

  2月21日昼 津軽海峡線 特急「スーパー白鳥」も進まない
 
 起きると木古内に到着直前だ。空は鈍い銀色に変わっているが、雪が降ったりはしていない。退避している上り貨物列車を追い抜いた。牽引機のEH500には運転士が乗っているが、一体いつから居るのだろう。所定では止まらない知内駅にも臨時停車した。ホーム有効長が足らない後部1両はドアカット。乗る客いるのかね。

 14時6分、津軽線内は排雪モーターカー3台を投入しているが、まだ運転ができる状態ではなく、この列車には除雪が間に合わないので、青函トンネルを抜けた津軽今別で運転を見合わせる、と放送が流れる。さすがに青函トンネルは高速で突っ走り、14時29分、ついに本州に入った。

 14時35分、津軽今別に停まり、また連絡があった。二つ向こうの中沢~蓮田で倒木がさらに発見され、撤去のため送電を一旦止めて作業を行い、その後に除雪をする。会社からのおおよその予想では、1時間以上かかる、とのことだ。通路に立ち並ぶ乗客みんなが、溜息をついたような気がした。いかにも申し訳なさそうな口調で放送が続く。

 15時5分、特急券の払い戻しの話と、青森から先の接続列車は、見通しが立つまで何にも分からないという話があり、続いて15時15分、「鉄道とは関係無い話ですが…、新千歳空港では滑走路は2本とも閉鎖されております」という放送を、何故か2回繰り返した。大切な話なんですね、わかります。今のこの状況は、新千歳で飛行機を待つ人間に比べれば、まだましですよってか。

 「同じ状況です…(すでに散々繰り返した内容)…模様です」(15時19分)
 「新情報はありません。現在蟹田~青森間で列車は運行しておりません」(15時38分)…もういいよ。
 15時45分、それはもう深刻そうな感じで放送。
 「大変皆様にはありがたくない情報ですが…、復旧見込みが18時を過ぎるという連絡が入りました」
 ええええぇぇ。
 「代替手段の返答も相当の時間を要します」
 数分して、列車に1000人近く乗っていることや、近隣のバスが出払っていることから、結局代替手段は無理との報告があった。

 雪はこれっぽっちも降っていない。天気も晴れ基調だ。列車は当分動かないこともわかって、少し運動をしたくなり、Nに荷物を任せてホームに出ることにする。通路の人と荷物を掻き分けてデッキへ。デッキの人と荷物も掻き分けてホームへ。ホームの雪は掻いてあった。
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 階段を降りてすぐの津軽二股駅のホームを眺める。辺りには紫煙を燻らす人が多い。荷物を抱え、ケータイでタクシーを呼ぶ人がいる。私の所持機を確認すると電波の圏外だ。これだからS○ftbankは!電話BOXに並ぶ十数人は、ケータイを持っていないのでなければ、おそらく田舎での電波の弱さに定評ある某社と契約しているのだろう。現にケータイを見ながら公衆電話のボタンを押している人もいるし。

 車掌が階段を下りてきて、16時20~30分頃に、蟹田まで除雪が終了し次第、発車すると伝えてきた。車内に戻る。Nがしびれを切らしたのか、蟹田からタクシーを使って青森に行くことを提案してくる。が、6千円ぐらいかかるだろうと聞いて拒否する。車窓では、待ってられない未来がある客を乗せたタクシーが、南に向かっていく。

 客の大半が、早く動かんかなあ、と思っていたであろう16時24分、「気分を悪くされたお客様がおられます。津軽今別駅に救急車を手配いたしました。到着まで12分ほどかかる見込みです」はい、はい、発車は36分以降ね。
 「こんなに詰め込んでいるのだから、倒れる人が出るのも当然よね」と客は同情的だ。
 16時30分、蟹田駅まで除雪終了のお知らせ。救急車はまだ来ない。
 16時37分、救急車は遅れているとの放送。
 「何でこのタイミングで体調悪くなったって、言うのかなあ」「私も気分が…(※演技過剰)」などと客は文句を言い始める。
 閉鎖環境での被害者の連帯意識でエゴイズムが出てきたなあ、と思っていたら、怒りっぽい調子で「体調が悪いなら、駅に置いていけばいいんだ!」と主張していたオッサンは、周囲の客に駅舎が無いから無理だ、などと言われて黙らされていた。

 救急車は一体何をしているのか、と外を見ることができる客が道路を注視する中、ようやく赤色灯を輝かせた白い車がやってきた。だが、救急車到着後も列車はなかなか動かない。津軽今別駅は少し高い所にあるため、津軽二股駅前の広場の様子はわからない。男の子が「もう死んじゃったんじゃないの」と言って、母親に注意される。でもその注意は軽く、周囲の大人も薄ら笑うだけで、不快感は示さない。本音を言う子供は残酷だが、本音を言えない大人はいやらしい。

 16時50分に搬送終了の放送が流れ、2時間15分もいた駅を後にした。

  2月21日夕方 津軽線 「青森に少しずつ近づいて運転いたしております」

 
中小国手前で、排雪モーターカー1台が津軽線を三厩へ向かって走るのを見た。
 17時5分、蟹田に到着。いつ動くかわからないから、駅から離れないようにとの連絡と、路線バスは無い、タクシーで青森まで行く場合は7千円から8千円かかる、この列車には7百人から1千人が乗車しているため、代行バスは不可能との放送が流れる。

 また外に出た。日が沈みかけていて暗い。側線には津軽線用の気動車が何両も連なって止まっている。駅前と駅舎内は、ケータイ片手の人間でごった返し、タクシーが次々と出ていく。蟹田駅にこれほど活気があることは、普段あり得ないだろう。対して車内はかなり空いた感じだ。
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 Nは新幹線と東海道線夜行の「ながら」を乗り継いて帰ろうか、などと言っていたが、ついに諦めたらしく、青森に泊まって明日帰る、と宣言した。待ってましたとばかりに、私のケータイで青森駅前の東横インを予約する。

 17時38分、除雪が終了し、排雪モーターカー2台は5分前後で待避する、との放送がある。どうも駅と車掌で連絡にタイムラグがあるらしく、「駅によれば」という言い方をしている。
 17時53分、蟹田を発車。隣の駅まで少しずつ動かしていくという。「この列車が最初に青森駅に着きます」「青森方に少しずつ近づいて運転いたしております」と、あまり意味を為さない放送。心なしか車掌の息が上がっている気がする。疲れているのだろう。
 18時ちょうど、郷沢に停車。18時2分発車。
 18時15分にもどこかに停車し、18分に発車。

 その後は止まらず、特急並みの速度を出して青森へ向けて一路ひた走った。青森到着前の最後の放送では、上野行き寝台特急「あけぼの」との接続は取れない、大阪行き寝台特急「日本海」とは時間が未定だが接続できる、他の接続は情報不足でわからない、東北線も奥羽線も先ほど運転を再開したところ、などが続いた。

 「本日は東北地方の爆弾低気圧の影響により、3時間32分遅れで青森駅に到着いたします。本日は列車大幅に遅れましてご迷惑をおかけいたしました。この列車は八戸行きです。青森で進行方向が変わります…特急料金の払い戻しあります…○※△」車掌の声は裏返ってしどろもどろになっていった。 

 18時28分、ついに、ようやく青森駅に到着した。
 結構な人数が降りる。ここから乗る客も、かなりいるようだ。3番線の電光掲示板には、ちゃんと「特急スーパー白鳥22号 14:51八戸」と表示されている。列車はまだ進むのだ。
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 「はまなす」で隣合わせた老夫婦ともまた会った。せっかく取った特急「かもしか」の指定券も無駄になり、今日中に秋田へ向かう特急も、残りは「日本海」しか無い。立席特急券で乗れますよ、みどりの窓口は混雑するから、車内で車掌と直談判した方がいいですよ、などとアドバイスして別れた。

 東横インにチェックインして、駅前の居酒屋で郷土料理と日本酒を堪能して憂さを晴らし、ホテルに戻って寝た。予約が直前だったからかツインが空いておらず、部屋はダブルである。男二人で。

  2月22日 帰途へ
 寝像が良ければダブルベットでも寝られるものだ。この日、Nは東北新幹線と東海道新幹線の乗り継ぎでその日のうちに、私は夜の「日本海」で翌日に、それぞれ戻るべき場所に無事に帰り着いた。

 北海道や東北の冬は舐めてはいけない。

  「フリョ記」(了)


  後書き(2015年1月)
 わずか6年前の記録なのだが、登場する多くの列車において、臨時化や廃止、あるいは廃止予定の発表がなされていて、月日の移ろいを感じる。
 2016年3月以降、北海道新幹線が本格開業すれば、「はまなす」も「スーパー白鳥」も消えて、本稿のような、雪害による大遅延もほとんど無くなることだろう。

フリョ記 −不慮なる旅記−【前編】

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  前書き(2015年1月)
 
 外付けHDDを漁っていたら、学部生の時に同好会誌に投稿した文章を見つけた。2009年2月、冬の津軽海峡線で、列車遅延に巻き込まれたときの旅行記だ。執筆した当時、筆者にとってお気に入りの文章であり、発見したついでに、ネットの片隅に置いておこう。今から6年近く前、北海道新幹線は影も形もなく、東北新幹線も八戸までしか走っていなかった頃の話だ。
 
  「フリョ記」

 不慮なる旅記。本稿は2009年2月20日から22日にかけての、札幌から青森に至るまでの記録である。2009年2月、友人Nとともに出かけた北海道鉄道撮影旅行は、釧路湿原ではうまく雪が積もり、納沙布岬ではうまく国後島が見え、花咲線ではうまく夕陽が輝き、網走ではうまく流氷が着岸するなど、幸運続きの素晴らしいものであった。だが、天は我々に勝ち逃げを許さなかった。 

   2月20日夕方 札幌駅西改札口前 非常に強い低気圧
 
 自動改札機の上にある液晶が、新千歳空港は雪のため滑走路を閉鎖していると告げている。北東北には非常に強い低気圧が襲来しており、札幌も一日雪だった。
 
 まもなく、往路の新日本海フェリーに辟易し、帰路を飛行機に変えたNが姿を現した。せっかく取った航空便が滑走路閉鎖の影響で欠航したため、新千歳空港から戻ってきたのだ。予期せぬ数時間ぶりの再会である。今夜の青森行き急行「はまなす」と、その先の東京への新幹線の切符を入手すべく、すぐさまNはみどりの窓口に並びに行ったが、「はまなす」は寝台に至るまで満席、明日午前中の函館行き「北斗」東京行き「はやて」も全て埋まっていたと言って戻ってきた。飛行機から流れた客で一杯になっているのだろう。
 
 私は最初から「はまなす」と大阪行き「日本海」を乗り継いで帰るつもりで、今夜の「はまなす」のドリームカーを押さえていたので、それをNに売却する。指定券を定価で売ったことで、Nは便宜を図ってくれ、晩飯の千円近いカレーはタダになった。上機嫌の私は「はまなす」も途中で運転打ち切りになるんじゃないか、などと冗談を言う。まさかそれが現実になるとは少しも思わずに…。

  2月20日夜 札幌駅ホーム 急行「はまなす」は大混雑
 
 21時30分頃、乗り場へ向かう。今夜の「はまなす」は自由席車を1両増車しているらしい。だが自由席の列は乗車口ごとに50人を軽く超えていた。しかもキャリーバックやスーツケースなど、飛行機に乗りこむ格好をした人ばかり。発車30分前に行ったってどうせ座れまいと思ってはいたが、この人数にはやや驚愕した。しかし私は鉄道マニア、自由席以外にも座れる場所を知っている。
 
 指定席車であるドリームカーには、もと喫煙スペースだった場所が、フリースペースとして残っている。窓1つ分の空間に、台形の大型机と、それを挟んで、バーにあるような回転椅子4つを配置。通路はそのままで、反対側も同じ作りになっているから、座席は8つだ。自由席の簡易リクライニングシートよりも、座り心地は当然悪いが、通路やデッキに立つよりは、はるかにマシに決まっている。
 
 5号車の指定席乗車口に並び、Nは指定席へ、私はフリースペースに陣取る。ここの存在を知っている人は少ないようで、発車した時で8個の椅子の内5個が埋まっていただけだった。雪のため札幌発は22時25分(25分延)となる。新札幌発は22時42分(31分延)、車内から見た自由席の列は10人ちょい。千歳発は23時7分(31分延)、自由席の列は約30人。南千歳は23時12分(31分延)、ここから乗る人は相当多い。50人は超えていそうだ。混雑のために、5・6号車指定席の通路が開放され、フリースペースも一杯になった。座席の通路にも、デッキとの間にある荷物スペースにも、そしてデッキにも人が溢れている。
 
 ここで、私の目に映る範囲で、乗り合わせた人たちについて書いてみる。私は進行方向に対し左側、進行方向を向いた席を占めている。私の正面にいるのは男子大学生。マスコミ関連の就職活動の資料を広げ、自己分析カードを書いている。これから東京に行って試験か面接だろう。私の横は無口なお爺ちゃん。私の斜め前の席には、千歳から乗り込んできた、スーツケースを持った老若男女8人組が交替で席に着いている。話を聞いていると、一行は何かのツアー客で、新千歳から羽田へ行き、そこからさらに何処かへ飛ぶ予定だったようだ。通路もツアー客が自分たちの荷物に座って休んでいる。中には荷物置き場の荷物の上に布を敷いて横たわっている人もいる。通路を挟んだ反対側は、横のお爺ちゃんの奥さんっぽいお婆ちゃんと、ビジネスマン風の男たち。
 
 苫小牧は23時29分発(25分延)。ここからも自由席車に乗りこむ客が若干名いた。向かいのシューカツ生はカーテンを巻きつけて眠ろうとしている。とある香辛料が題名のSF小説を読みふけっていた私にもようやく眠気が来た。

   2月21日早朝 函館駅ホーム 急行「はまなす」は動かない
 
 うつらうつらしているうちに、3時13分、函館駅8番ホームに到着した。まだ遅れているが、停車時間を切り詰めればほぼ定時に戻るだろう。いつもなら機関車を撮るためカメラと三脚を掴んで外に出るが、憔悴しきった人の群れをかき分ける訳にもいかず、時刻表を広げてじっとする。
 4番ホームには寝台特急「トワイライトエクスプレス」が停まっている。カーテンが開いており、車内には明かりが点き、寝台の準備もなされている。ただ人影は無く、運転打ち切りだろうかなどと考えたが、時間が早すぎるし、送り込みだろうか。

 汽笛とそれに続く鈍いショックで、ここまで列車を引いてきたディーゼル機関車DD51が切り離され、青函用の電気機関車ED79が連結されたことが知れる。よっしゃ、早く出発しろと念じるが、3時26分、耳を疑う放送が流れた。
 
 「現在、JR東日本管内、津軽線が雪害のため不通となっており、運転の見込みが立っておりません」
 
 雪が舞う、凍結した寒いホームに三々五々客が現れ始めた。煙草を吸う人や、荷物を持って改札に向かう人の群れを眺めて時間を潰していると、4時5分、向いのホームに雪にまみれた789系が入って来た。しかも僅かながら乗客がいる。何でこんな時間に、と時刻表を確認すると、昨日の21時54分に函館に着くはずの「スーパー白鳥」25号のようだ。6時間11分遅れか…。これは相当ヤバいかも知れん。
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 4時15分、やって来た車掌から直接説明を聞く。上りの札幌行き急行「はまなす」はまだ函館を出ていないらしい。まさか運転打ち切りになりませんよね?と聞くと、これだけ客が乗っているから無いだろう、との返事だ。
 
 4時38分、フリースペースからツアー客が撤退した。函館空港へ行くという。青森空港から羽田に向かう予定だったが、少なくとも6時間は遅れる、との話にこのままでは間に合わないと判断したらしい。
 
 5時10分、空っぽの「トワイライトエクスプレス」がDD51重連の牽引で札幌方面へ出発した。少し経って向かいのシューカツ生も面接に間に合わないと言って、列車を下りた。通路の向こうの席も人数が減り、フリースペースにいる客は、私、老夫婦、向こう側にイベント会社で仕事をしているという2人組だけになってしまった。暇で堪らないのでNを呼ぶ。
 
 5時39分、止まったままの列車の室内灯が点く。定時ならもう青森に着いている時間だ。同時に車内放送。放送がカットされていた寝台にも、初めて情報が伝えられる。
 
 6時20分、飲み物の配給が行われる。JR北海道の名札を付けた職員が段ボール箱を抱えて、ペットボトルのお茶やジュースを配って廻る。りんごジュースを手に入れる。後で弁当も配られるという。フリースペースにはJAZZが流れ始めた。イベント会社社員が、仕事で持ち歩いているスピーカーを延長コードでコンセントに繋いだのだ。
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 7時30分、本来なら見られない、函館山と「はまなす」の組み合わせを撮っていると、急行「はまなす」の函館~青森間、および函館から青森へ向かう特急「スーパー白鳥」「白鳥」の10号、14号、20号の運転取止めが放送で流れた。本州側の津軽線は、倒木により支障しており、復旧は12時頃の予定で、青森行き一番列車は12時53分の「スーパー白鳥」22号になる。また、「はまなす」の編成は9時30分をメドに札幌に戻るが、それまでは車内にいてもいいという。上りの「はまなす」が北海道に来られない以上、この編成を札幌に戻さないと今日夜の青森行きが運転できなくなる訳だから、仕方無いね。
 
 天気が良いので、Nは街に出て、函館市電を撮りに行くという。誘われたが、全然寝てない私は動く気がしない。一人で行って貰った。隣席の老夫婦と話す。秋田の人で、男鹿線の上二田駅に戻る、北海道には用事があって来ていたという。行きに指定席を取ったらガラガラで、帰りを自由席にしてみたらこの有様、孫が秋田大学を受けに来るから、それまでには帰りたいが、どうなるのかな、とおっしゃる。「スーパー白鳥」22号が定時で動いた場合の、上二田駅までの乗り継ぎプランを書いて渡す。
 
 イベント会社の人は、今度はパソコンで「仁志松本のすべらない話」を流し始める。おもしろい。隣のお爺ちゃんの笑いのツボが他の人と絶妙にずれている。切符を買うため、老夫婦がみどりの窓口へ並びに行ったところで、車掌とJR北海道の職員が現れ、車内にいる人数を数えていった。どうやら残っている人にしか弁当を渡さないらしい。車内に人はほとんど残っていない。がらがらのドリームカーに移動して少し休む。
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 9時30分頃、やっと弁当が来た。お握り2個と沢庵2枚だけという内容は、「弁当」と聞いて勝手に想像していたのとかなり違っていた。しかも、「こういう時に配られる弁当は大抵不味い」とNが言っていたとおり、あまり美味しくない。
 
 午後の函館空港発羽田行きのチケットが取れた、とのことで、色々と環境を整備してくれたイベント会社の二人組は、弁当片手に降りて行った。

 「フリョ記」【後編】へ続く

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