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February 2015

琴電の810と820

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 2007年11月のことでん祭りの日に撮影。地元の同業者に車で連れて行ってもらうまで、保存されていることを全く知らなかった。現役時代を見ることは叶わなかったとはいえ、現物を撮れたのはとても嬉しかった。
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 元をたどれば、1940(昭和15)年の木南車輌製の2両だ。豊川鉄道のクハ101、クハ102として竣工した張り上げ屋根、両運転台式の制御車で、2扉クロスシート車だった。1943(昭和18)年、豊川鉄道の買収に伴い国鉄に引き継がれ、そのまま飯田線で活躍を続けた後、1952(昭和27)年には宇部線・小野田線へ、さらに1953(昭和28)年には福塩線に転じている。
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 1952(昭和27)年にはロングシート化され、1953(昭和28)年には国鉄称号改正に伴い、形式クハ5610に分類され、クハ101、クハ102はそれぞれクハ5610、クハ5611と称した。1953(昭和28)年にクハ5611が、1954(昭和29)年にはクハ5610が、いずれも幡生所において更新修繕を受けた。これにより、両車ともに片運転台化され、ベンチレーターはガーランドからグローブ形となった。ただ、クハ5611では正面非貫通化が行われものの、前照灯は屋根に埋め込まれたまま、張り上げ屋根も維持されたのに対し、クハ5610では正面の貫通扉は残ったが、前照灯の取り付け方は通常のものとなり、屋根には雨樋が設けられるなど、外観に差異が生じた。この頃に撮影された写真がネコ・パブリッシングの「私鉄買収国電」に載っている。1962(昭和37)年に揃って国鉄を廃車となるが、高松琴平電気鉄道(琴電)へ払い下げられた。
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 琴電では8000形となり、クハ5610が810に、クハ5611が820に名を改めた。もちろん下回りは標準軌に変更されている。1964(昭和39)年には820が電動車化され、820形820となった。820は1976(昭和51)年に、810は1981(昭和56)年に更新修繕を受け、車体を新しいものに置き換えたものの、窓の配置は変わっていない。以降は2両で編成を組み、琴平線で長らく活躍したが、2003(平成15)年に廃車となった。買収国電の履歴をもつ電車としては、一番最後まで現役を続けた車輌だった。
 
 解体を免れて引き取られ、写真の通り運転台を同じ向きにした形で保存された。ヘッドライトが、810では埋込み式の2灯、820では屋根上の1灯となっているのは、更新時期の差によるものだ。
 Googleマップのストリートビューで、2012年7月時点の映像を確認すると、両車ともに前頭部がカバーで覆われているが、そのまま同じ場所に残されているようだ。

kcu.eduの京都市電保存車

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 近所に京都市電が保存されているらしい、と知ったのは結構前だ。そんなに興味はなかったので、放ったらかしていたのだが、先日散歩をしていた時に見つけた。カメラも持っていなかったので、アイフォンで撮った。黒の色味がエグいぞ。


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 場所は、京都コンピュータ学院白河校の敷地内だった。40年も露天で置かれているとは思えないほど、整備は良好だ。敷石や標識を設置して、架線柱を立てて架線も張ってビューゲルも上げて保存というのは、相当気合が入っている。


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 公式HPには保存車を紹介するページもあって、「保存の意義」という大儀な文章もあったのだが、保存に至った経緯はよくわからなかった。創立者の趣味か。ここの校舎も、今は使っていない様子だが、市電の保存はこのまま続くのだろうか。
 

(2014年11月撮影)

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