金華駅、2008年盛夏
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駅舎の右に、乗ってきたワンマン列車が覗いている。駅前には廃屋と民家が並ぶ。
金華駅を通過する、臨時貨物列車(石北臨貨)。先頭のDD51の1150号機は、2015年に北海道で活躍する最後のJR貨物所属のDD51型となり、6月現在は苗穂工場にあるようだ。線路間のホームは崩れかかっているようにみえるが、ワンマン列車の一、二両なら、これで問題ないということか。
駅名標の次駅の表示にある「にしるべしべ」は、書き直されている。途中駅が廃止になったのではなく、金華駅と留辺蘂駅の間に、2000年4月に西留辺蘂駅が新設されたときに、修正されたのだろう。
駅舎のホーム側、平仮名で大きく「かねはな」と書かれた木製の板。扉の張り紙には「トイレの設備はありません」とある。右に見える青地に白文字の看板は、「常紋トンネル工事殉難者追悼碑 昭和55年11月建立 駅より約300m」との案内だ。
金華駅から北へ、約4kmの25‰連続勾配を登った先にある、常紋トンネルの開通は1914(大正3)年10月で、その建設工事中の死者への追悼碑の建立は1980(昭和55)年11月のこと【追悼碑除幕(フォト海道)】。1970(昭和45)年9月、トンネル内の工事中に、建設時の「タコ労働者」のものと思われる人骨が発見され、その後数年かけて行われたトンネル周辺の発掘調査でも、遺骨が見つかった【前かがみの遺骨発掘(フォト海道)】。伝承ではなく物証として、トンネルから人骨が出てきたのは、常紋トンネルを除いて国内ではほかに知られていない。
金華駅は、信号場として残ることが予想されるが、ここが駅でなくなると、鉄道で殉難者追悼碑を訪れるのは困難になる。
金華駅は、信号場として残ることが予想されるが、ここが駅でなくなると、鉄道で殉難者追悼碑を訪れるのは困難になる。
(2008年8月、北海道、石北本線、金華駅)