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September 2015

フランス海軍潜水艦「ペガーズ(Pégase)」

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 第二次世界大戦期のフランス海軍潜水艦「ペガーズ(Pégase)」は、日米の開戦によって、フランス領インドシナ(仏印)からフランス本国に戻れなくなり、サイゴン(現・ベトナムのホーチミン)に逼迫し、終焉を迎えた。ここでは、1945年から戦後にかけて撮影された「ペガーズ」の写真と、その最期を紹介する。
 
Pegase0
画像元
1945年4月撮影(アメリカ陸軍航空隊)

 サイゴンの海軍工廠付近の空撮。画面左上、桟橋の横に「SS」と注記された潜水艦が写っている。この時期、日本海軍の潜水艦がサイゴンに在泊した記録はない。従って、この写真の艦は「ペガーズ」である可能性が高い。1945年3月、日本軍による仏印武力処理、「明号作戦」の際に、仏印に在ったフランス海軍の艦艇がことごとく自沈する中、「ペガーズ」は水上に残った、ということになる。
 
Pegase_1
出処不明(どこかの掲示板から)
1948年撮影

 1945年に戦争が終わった時、「ペガーズ」は工廠近くの渓谷に放置されていた。この写真と同じものが「LES SOUS-MARINS FRANCAIS 1918-1945」のp.214に載っている。

Pegase_2
画像元
1950年6月9日撮影(by Urbain CALESTROUPAT)
 
 同じく渓谷に放置状態の「ペガーズ」。1950年に「ペガーズ」はフランス海軍を除籍された。

Pegase_3
出処不明(どこかの掲示板から)
1951年3月18日撮影

 渓谷から引き出され、サイゴン港の桟橋に係留された「ペガーズ」の船体。機器が取り外されたため、軽くなって浮き上がり、傾いでいる。

Pegase_4
元画像
撮影年月日不明(おそらく1951年4月)
 
 「ペガーズ」は、艦橋に航路標識を載せられ、サイゴンから南へ、メコン川の分流であるバサック川の河口まで曳航された。同じ写真が「LES SOUS-MARINS DE 1500 TONNES」のp.49にある。

Pegase_5
元画像
撮影年月日不明

 バサック川の河口で、座礁の危険を示す標識となった「ペガーズ」の船体は、半年もすると完全に水中に没し、さらに大型の標識が追加された。 

 ペガーズ(Pégase)は、ペガサスのフランス語である。天馬の名を持つ潜水艦は、はるか極東で朽ち果て、最後には航路標識となって姿を消した。「ペガーズ」は、河口の泥の中で、今も静かに眠っている。 

【※画像はすべてネット上から集めてきたもの。 収集時期はずいぶん昔で、いくつかは出処がわからなくなってしまった。】

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 第二次世界大戦中、フランス領インドシナ(仏印、現在のベトナム・ラオス・カンボジア)に存在したフランス海軍極東部隊。日米開戦時に所属していた艦艇と、その最期を一覧したメモ。

フランス海軍極東部隊
Forces Navales d'Extrême Orient

軽巡洋艦 1隻
 ラモット・ピケ(デュゲイ・トルーアン級) La Motte-Picquet
1945年1月12日、サイゴン(Saigon)にて撃沈
 ※アメリカ海軍第38機動部隊空母艦載機による爆撃

植民地通報艦 1隻
 アミラル・シャルネ(ブーゲンビル級) Amiral Charner
1945年3月9日、ミトー(My Tho)にて自沈

一等通報艦 2隻
 タフレ(アラ級) Tahure
1944年4月29日、ヴァレラ(Varella)岬沖にて撃沈
 ※アメリカ海軍潜水艦「フラッシャー(USS Flasher)」による雷撃

 マルヌ(マルヌ級) Marne
1945年3月9日、カントー(Can Tho)にて自沈

河用砲艦 6隻
 アヴァランシェ(元・駆潜艇Ch101級Ch112)Avaranche
1945年3月9日、ミトー(My Tho)にて自沈

 コマンダンテ・ブールドア(元・駆潜艇Ch101級Ch111)Commandant Bourdais
1945年3月9日、ハイフォン(Hai Phong)にて自沈

 ヴィジランテ(アルギュス級)Vigirante
1945年3月9日、ハイフォン(Hai Phong)にて自沈

 トゥーラーヌ(ミトー級)Tourane
1945年3月9日、ドンナイ(Dong Nai)にて自沈

 ミトー(ミトー級)Mytho
1945年3月9日、ミトー(My Tho)にて自沈

 フランシス・ガルニエ(フランシス・ガルニエ級)Francis-Garnier
1945年3月9日、クラティエ(Kratie)にて自沈

測量艇 3隻
 ラ・ペルーズ(ラ・ペルーズ級)La Pérouse
1945年3月9日、カントー(Can Tho)にて自沈

 アスロトロラーベ(アストロラーベ級)Astrolabe
1944年2月26日、トゥーラーヌ(Tourane)にて撃沈
 ※アメリカ陸軍航空隊、第14航空軍第341爆撃群所属のB-25 11機による爆撃

 オクタント(アストロラーベ級)Octant
1945年1月12日、サイゴン(Saigon)にて撃沈
 ※アメリカ海軍第38機動部隊空母艦載機による爆撃


 1941年12月の日米開戦時、フランス海軍極東部隊には、軽巡洋艦から小型の河用砲艦まで、全部で13隻があった。

 1944年から1945年にかけて、アメリカ軍の攻撃により、仏印周辺で4隻が撃沈された。まず1944年の2月、米陸軍航空隊の空襲によって測量艇1隻(アスロトロラーベ)が沈み、同年4月、米潜水艦の雷撃により通報艦1隻(タフレ)が失われ、さらに翌年の1月、米海軍機動部隊の空襲により、巡洋艦(ラモット・ピケ)と測量艇(オクタント)が1隻ずつ沈んだ。いずれも、アメリカ軍にとって敵性の、日本海軍の艦艇と誤認され、攻撃を受けた。海軍極東部隊は、中立国であるヴィシー・フランス政府の所属であったが、仏印が日本軍の占領下となったため、そのとばっちりを受けた形だ。

 1945年3月9日、日本軍は、仏印所在のフランス軍の武装解除、および仏印の解体を目的とした「明号作戦」を発動。これに対し、極東部隊に残っていた9隻の艦艇は、3月9日と10日の両日、すべて自沈して果てた。フィリピンまで進出していたアメリカ軍を頼るべく、脱出を図った艦もあったが、失敗に終わっている。日本軍による拿捕こそ免れたものの、全艦艇の喪失により、フランス海軍極東部隊は潰滅した。

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