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November 2015

信楽高原鐵道SKR301から紀州鉄道KR301へ(2015年10月)

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 2015年8月末、SKR301がまだ信楽高原鐡道で働いていたとき、貴生川駅でたまたま同車を撮っていた。写真を見ると、幌枠の塗装が部分的に剥げている。このあと、10月3日のさよなら運転に向けて、手が入れられたのだろう。 

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 2015年10月末、紀州鉄道に到着してから約十日、紀伊御坊駅の側線にて、台車を抜かれ、側面のSKRの文字とタヌキの絵が灰色で塗り潰された状態。扉脇にあった「SKR301」の切り抜き文字も消えているが、貫通扉の踏み板に車番が残っているので、紀州鉄道では社名抜きの「301」を名乗るのだろうか。(2015年12月6日追記:読売新聞和歌山版にて、紀州鉄道では「KR301」に改番されるとの報道がなされた。)

 SKR301は、信楽高原鐡道で起きた列車衝突事故の教訓を受けて設計されたため、前頭部に油圧ダンパーを装備しており、正面下端左右が出っぱっている。同車は富士重工製の軽快気動車「LE-DC」の一員で、1995(平成7)年に製造された。同型車はいない。紀州鉄道で撮影した写真の背景に写っている、1985(昭和60)年生まれのキテツ-1、富士重工製2軸レールバス「LE-Car」とは、十コ、年の離れた兄弟といえる。

 (2016年2月1日追記:2015年の内に運行を開始するとの報道もあったKR301だが、やや遅れた2016年1月31日、紀州鉄道を走り始めた。) 

紀州鉄道キハ603の経歴

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(2015年10月撮影、紀州鉄道、紀伊御坊駅にて)

 紀州鉄道のキハ603は、かつて大分交通が新製したキハ600形(キハ601〜604)4両のうちの1両。キハ600形の最初の2両は、1956(昭和31)年10月に日本車輌で製造され、キハ601が耶馬渓線、キハ602が国東線に配置された。続いて1960年(昭和35)年8月には2両が新潟鐵工所で増備され、こちらもキハ603は耶馬渓線、キハ604は国東線と、分かれて運用された。
 
 最初の2両と追加された2両とでは、外見に差異があった。Hゴム支持の正面の2枚窓は、日車製の方が上下寸法が大きく、窓周囲の凹みには、窓の形に合わせたRがついていた。新潟鐵工製の方では、窓は少し小さくなり、その直下に通風口が設置され、さらに窓周囲の凹みも、Rのない角ばったものになった。個人的には日車製の方がスマートに見え、新潟鐵工製の方は野暮ったい。また、屋根上のベンチレーターも異なっていて、日車製ではガーランド、新潟鐵工製では押し込み型だった。
 
 大分交通では、気動車の前面に平仮名で愛称を表示していた。キハ601は「やまびこ」、キハ603は「かじか」、キハ602は「しおかぜ」、キハ604は「なぎさ」であった。それぞれ、日豊本線の中津から山の中へ向かう耶馬渓線、あるいは、日豊本線の杵築から海沿いを行く国東線にちなんだ命名だった。
 
 国東線が1966(昭和41)年3月を以って廃止されると、同線にいたキハ602とキハ604は耶馬渓線に移った。活躍場所を変えたため、「しおかぜ」と「なぎさ」の愛称は外された。キハ600形は4両揃って、耶馬渓線の主力として働いたが、1975(昭和50)年9月末には耶馬渓線も全線廃止となり、大分交通は鉄道事業から撤退した。
 
 大分での10年間の仕事を終えた翌年、キハ603とキハ604は紀州鉄道に引き取られた。キハ603に残っていた愛称名は取り外され、社紋がかえられたほかは、塗装も車番も変更されなかった。2両の入線に伴い、それまで紀州鉄道で運用されていた、車号も車歴もバラバラな戦前生まれの気動車(キハ202、キハ308、キハ40801、キハ16)は順次引退していった。
 
 以後、キハ603とキハ604は、1984(昭和59)年頃のドアエンジンの設置に伴う客用ドアの交換(窓が小さくなった)、1989(平成元)年の紀州鉄道のワンマン運転開始に合わせた装備の追加、腰部へのヘッドライト増設、前面窓支持方式のHゴムからサッシ枠への変更、といった改造を受けつつ、紀州鉄道の主力として走り続けた。
 
 2000(平成12)年7月、紀州鉄道初の冷房車として、レールバスのキテツ-1が北条鉄道から入線。キハ604が休車となるが、キハ603の運用は週末を中心に続けられた。紀伊御坊の側線に置かれたキハ604は、僚車のための部品取りにより荒廃していき、運用離脱から長らく経った、2010(平成22)年12月に解体された。
 
 2009(平成21)年9月、北条鉄道から2両目のレールバス、キテツ-2がやって来た。これにより、老朽化の進んだキハ603の引退が決まり、2009(平成21)11月のさよなら運転を以って、紀州鉄道での33年間の活躍を終えた。
 
 休車ののち、除籍となった今も、キハ603はかつてキハ604が置かれていた場所に保存されている。西御坊を向いた先頭部は、入線時の姿に近づくように手が加えられ、増設されたヘッドライトの撤去や、窓まわりのHゴムの再現が行われている。

庫内の紀州鉄道キハ603(2007年12月)

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 紀州鉄道を初めて訪れたのは、2007(平成19)年12月末。この時、キハ603は運用に入っていなかったが、庫内にて整備中のところを見学することができた。

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 「人KENまもる君」は「アンパンマン」のやなせたかしデザインで、法務省の公式キャラクター。鉄道車両のヘッドマークになっていた例は、紀州鉄道のほか知らない。最初はご当地キャラクターかと思ったが、違った。差別は根深く残っている。

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 塗装前の社紋のマスキング(おそらくまだ途中)が面白い。整備を担当している日鐵運輸は、新日鉄のグループ会社。紀伊御坊の車庫に出張していたのだろうか。

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 紀州鉄道の「鉄」は「金を失う」なのだ。「新潟鐵工 昭和35年」と書かれた車内の製造銘板は、左上が重なって歪んでいる。日鐵運輸の検査標記も、数字の修正が適当だ。

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 運転台と客席の間の仕切りはシンプルで、乗員扉も片方のみ。運転台は、後年付け加えられたワンマン関連機器でゴチャゴチャしている。速度計は、速度のKM/Hとエンジン回転数のR.P.M.が重なって表示されるもの。目盛りを読むと、30km/hと1000rpmが同値になっている。運転台の座席も丸みを帯びた古風なデザインで、座り心地は悪そうだ。客席側に目を転じると、白熱灯の電球、座面の低いセミクロスシート、木製の床。夜に走っているところを乗りたかった!床面の蓋は、床下に装備したエンジンの点検用だ。

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 装備するDMH17エンジンとTC-2トルコンの組み合わせは、製造時から変わらない。油ぎったエンジンの外見から、縦型のDMH17であることはわかるが、これがDMH17Bなのか、それともDMH17Cなのか、知識のない私には見分けがつかない。庫内にはもう一台、部品の欠けているDMH17にカバーがかけられていた。「古いエンジンで予備部品がないから、JRから貰った」と伺ったと記憶している。

 これ以降、2015年の10月まで、私に紀州鉄道を訪れる機会はなく、2009年11月に引退したキハ603の乗り心地を楽しむことはできなかった。

(2007年12月、紀州鉄道、紀伊御坊駅にて) 

紀州鉄道三世代揃い踏み(2015年10月)

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 2015年10月末、指導教員のいない日を見計らって研究室を抜け出し、和歌山を訪れた。目的地の一つは紀州鉄道。その車庫には、新たな中古車が運ばれてきたばかりで、全長2.7kmしかないミニ私鉄の、過去、現在、未来を支える車輌が揃っていた。現地に到着したのは夕刻になったが、日没までの間、所属車輌を丹念に眺めることができた。
 引退して保存されているキハ603、故障して休車中のキテツ-1と、唯一稼働しているキテツ-2、新入りのSKR301。4両ともよそから来た車輌で、紀州鉄道入りの前は、キハ603は大分交通の気動車、キテツ-1とキテツ-2は北条鉄道のレールバス、SKR301は信楽高原鐵道の軽快気動車と、出自も形態も多様だ。
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 JRから乗り換えたレールバスを、紀伊御坊駅で降りる。2軸車独特の揺れとともに、キテツ-2が去っていく。留置中のキハ603のバス窓には、SKR301が写り込んでいる。
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 駅舎を出て、南側の駐車場から見る、三世代の気動車の揃い踏み。最新の中古車のSKR301は、車庫前で整備中。塗装はまだ信楽高原鐡道を走っていた時のままだ。ただ、信楽の象徴だった、側面のタヌキの絵とSKRの文字は灰色で塗り潰されている。「回送」幕を出し、キハ603と同じ側線に並んでいるのはキテツ-1。西御坊を向いたヘッドライトの上には、ちょうど全日程を終えたばかりの「2015紀の国わかやま大会」のステッカーが残っている。 
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 北側の空き地からの眺め。真ん中のSKR301は台車を抜かれてダルマさん状態。キハ603は引退して数年たっているが、たびたび塗り直されているようで、雨染みはあるがきれいな姿だ。一方、キテツ-1は錆が目立ち、剥がれかけた「休車中」の文字も悲しい。SKR301の整備が終われば、キテツ-2が予備に廻り、キテツ-1は廃車となるはずだ。
 停まっている3両に、運用中のキテツ-2も加え、紀州鉄道の全車輌を一枚に収めた写真を撮ろう思ったが、日が沈み、所用もあってあきらめた。

(2015年10月撮影、紀州鉄道、紀伊御坊駅)

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著者:長門克巳 2015年9月20日発行 SHIN企画
総ページ数96、うちカラーページ数6

 本屋に注文して入手。ネットには情報がほぼ皆無なので、目次を以下に掲げる。各項目ともに、はじめに駅や車庫の様子を示し、続いて車輌の写真を並べる構成になっている。写真は小さめだが、沢山載っている。ただ、思ったより駅や車庫の施設の写真は少なく、車庫で撮った車輌の写真が多い。とはいえ、四半世紀以上前に撮影されたものばかりで、路線や車庫の半数は消滅し、掲載されている車輌も、電気機関車や事業用車などの一部を除けば、ほぼ現存しておらず、貴重な記録となっている。
 
 目次(括弧内は撮影年月)
  新潟交通 東関屋駅/車庫・燕駅(1987年11月・1989年7月)
  上田交通 上田原駅/車庫・上田駅ほか(1968年8月・1982年9月・1986年7月)
  京阪電気鉄道京津線 四宮車庫(1986年9月)
  富山地方鉄道市内軌道線 南富山駅/車庫(1987年5月)
  富山地方鉄道 稲荷町駅/車庫(1987年5月)
  伊豆箱根鉄道大雄山線 大雄山駅(1969年11月)
  蒲原鉄道 村松駅/車庫・五泉駅(1991年4月・1994年4月)
  加越能鉄道万葉線 米島口車庫・越の潟駅(1985年5月・1987年5月)
  栗原電鉄 若柳駅/車庫・石越駅(1989年6月)
  銚子電気鉄道の3駅(1983年1月)
  越後交通栃尾線の7駅(1966年8月)
  井笠鉄道の9駅(1969年3月)
  広島電鉄 千田車庫(1991年10月)
  広島電鉄 江波駅/車庫(1991年10月)
  松本電気鉄道 新村駅/車庫(1987年7月)
  長野電鉄河東線 屋代駅(1987年7月)
  京福電気鉄道越前本線 新福井駅・福井口駅(1985年5月/10月)
  同和鉱業小坂鉄道 小坂駅/車庫ほか(1983年8月)
  福井鉄道西武生駅/車庫(1985年5月/10月・1987年5月)
  静岡鉄道静岡清水線 長沼車庫(1987年6月)
  近江鉄道 彦根車庫(1987年2月・1988年1月)
  土佐電気鉄道 桟橋車庫(1988年4月)
  弘南鉄道大鰐線 大鰐駅・津軽大沢車庫(1986年8月・1993年5月)
  弘南鉄道弘南線 平賀車庫・黒石駅(1983年8月・1986年8月・1993年5月)
  茨城交通 那珂湊駅/車庫(1989年1月・1991年7月/10月)
  野上電気鉄道 日方駅/連絡口駅(1986年9月)
  鹿島鉄道 石岡駅/車庫(1989年1月・1991年7月)
  小湊鉄道 五井駅/車庫(1996年10月)
  叡山電鉄 修学院車庫・出町柳駅(1986年9月)
  下津井電鉄 下津井駅/車庫(1969年3月)
  関東鉄道竜ケ崎線 竜ケ崎駅/車庫ほか(1969年4月)
  関東鉄道常総線 水海道車庫(1987年10月・1989年1月・1991年7月)
  北陸鉄道小松線 小松駅(1985年5月)
  北陸鉄道石川線 新西金沢駅(1987年5月)
  尾小屋鉄道 新小松駅/車庫ほか(1969年8月・1970年11月・1971年2月)
  阪堺電気軌道 大和川車庫(1986年9月)
  西鉄北九州線 砂津車庫(1991年10月)
  西鉄北九州線 黒崎車庫(1991年10月)
  名鉄揖斐線 黒野駅/車庫(1984年1月)
  山形交通三山線 羽前高松駅(1974年8月)
  岡山電気軌道 東山車庫(1990年10月)
  各地で見かけた廃車体

 個人的に、本書の中で一番興味深かったのは、富山地鉄の架線検測車モテ10001と2軸の電気検測車の写真で、どちらも初めて知ったもの。ネットで調べると、モテ10001の方は、複数のサイトで言及がみられたが、2軸有蓋貨車改造と思われる「電氣検測車」については、稲荷町に放置中の写真が2枚見つかるのみで、形式も車番も来歴も全くわからなかった。鉄道車輌で、ここまで情報が出てこないのは珍しい。なんだこれ? 

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