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    「山田コレクション」とは北海道・江別にお住まいの山田建典さんが私財を投じて集めてきた道内の蒸気機関車を中心とした実物車輌群で、1970年代からさながら都市伝説のごとくその存在が噂されてきたものです。中略) 12輌の蒸気機関車と、客車、貨車、除雪車など総計15輌に及ぶコレクションはこれまでまったく公開されることなく、またその存在も秘匿されてきました。中略) 今年になってからその所有が日本鉄道保存協会の手に移ることとなったものです。

(引用元:編集長敬白: 日本鉄道保存協会2011年度総会より。(上)

   この記事を見たとき、「秘匿されてきたとあるけど、何かで読んだぞ」と思って探してみたら、「レイル・マガジン」1993年2月号の「トワイライトゾ~ン Chapter30」で言及されていた。

    「傍らに2輌の廃車体が.夕鉄の社紋が書き込まれたワフ4と番号不明の無蓋車・・・.辺りには何やら異様な感じが・・・.実はその背後にある二棟の倉庫の中に,三菱大夕張や美唄の蒸気が保管されているのである.趣味誌等で“江別市の個人所有”と書かれている保存機は,この中にある.一般公開されていないのが何とも残念だが・・・.
(引用元:「レイル・マガジン」第113号、トワイライトゾ~ン Chapter 30 夕鉄廃線跡は今・・・)

    読者の投稿による、夕鉄(夕張鉄道)の廃線跡の現況をまとめた三点リーダーの多い1頁ほどの記事で、書き手は今の三菱大夕張保存会の会長だ。地図や写真もあって、二棟の倉庫については「ネズミ一匹入れない厳重なトタン張りで,この中に夕鉄,三菱大夕張.美唄等の蒸気が入っている.」と解説されている。「個人」とあるだけで、「山田」の「や」の字も出てこないレポートに続き、編集部のB滝氏によるコメントがあり、中を覗いてみたい、個人の所有物で非公開もやむなしだが、何とか公開していただきたい、などと心情の吐露が行われた後、「参考までに,この中に収められていると思しき蒸機」が列挙されている。

    記事を初めて読んだ時、私は中学生で、夕鉄も北海道の炭砿鉄道も全く知らず、ただ「実物を揃えるなんて日本にもすごいマニアがいるな。機関車を一人で眺めて楽しんでいるのかな。見たがる人は大勢いるんだろうな」などと思っただけだった。

    さて、ちょっと興味がわいたので、「山田コレクション」の収められた「二棟の倉庫」について、記事を参考にネットで情報を収集してみた。なお、私は日本鉄道保存協会会員ではなく、現地の調査も関係者への取材もしていないので、新規性は当然ない。

    検索をかけたところ、私鉄の貨車について書かれたブログの写真の8枚目と9枚目に、時期は不明だが、この「倉庫」脇で撮られたと思われる、夕張鉄道のワフ4と無蓋車ト20の姿があった。このほかにも、これ(ワフ4、1997年7月撮影と記載)やこれとかこれ(ト20、2000年5月撮影と記載)が見つかった(いずれも2017年5月現在リンク切れ)。特にト20の方は、夏には完全に草に没していたことがわかる。「編集長敬白」の記述によれば、「山田コレクション」に含まれる貨車は1輌のみと思われ、ワフ4やト20が今も形をとどめているかどうかは定かでない。

    続いてGoogleマップのストリートビューで「倉庫」の現状を確認をすると、こんな感じで、貨車が置いてあったとおぼしき場所も隠されている。というかこの「倉庫」、換気口以外まったく開口部が見当たらないし、何が何でも中を見られないようになってるな。

    またWikipediaの北海鋼機前駅の項目には、「倉庫」周辺の1976年撮影の航空写真があって、当時の様子がわかる。

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    中央右上、道路と夕張鉄道の廃線跡(1975年廃止)に挟まれた部分にある、線路に平行して建つ大きい白い屋根とそのすぐ北のやや小さい白い屋根が、「二棟の倉庫」だ。この「倉庫」、夕鉄との近さといい、二棟の位置関係といい、夕張鉄道本線からレールを延ばして、蒸気機関車を直接運び入れるのに最適な配置だ。レールを敷いた跡も見える気がしてくる。


    さらに、機関車を搬入した記録がどこかにないかなと探していたら、北海道新聞の写真データベース「フォト海道」にあった。根室本線茂尻駅から分岐していた、雄別炭砿茂尻炭砿専用線の102号蒸気機関車が、「山田コレクション」に加わった時の様子だ。そしてその解説には、思いきり「江別のマニア」「山田さん」と書いてある! 下に示す画像はホームページのキャプチャで、機関車をトレーラートラックに載せて運び、レールをつないで搬入したことがはっきりわかる。ただし「倉庫」は写っていない。
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老SL命拾い 江別のマニア引き取る

旧雄別茂尻砿のC-40型
〝玉のコシ〟の大型トレーラーに乗った102号蒸気機関車
掲載 1971/09/01



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25年ぶりにヤマを離れ、
山田さんに引き取られたC-40型蒸気機関車
掲載 1971/09/01 



    現在、「倉庫」から5kmほど離れた、Googleマップのストリートビューでも見える駐車場に、ブルーシートで徹底的に養生された蒸気機関車がこんな感じに置いてある。見た目は102号機と同じ、立山重工業製の40トンCタンク機関車だ。この蒸機も「山田コレクション」に関係すると思われるが、102号機は2000年にYahoo!オークションに出品されていたらしく(※参照)、ひょっとしたら所有者が変わっている可能性もある。憶測ばかりですっきりしないが、ネットで調べて簡単にわかるのはこんな程度だ。

    "散逸させない"、"道内で護る"という山田さんの意向を踏まえたうえで、これからそ(※「山田コレクション」の)利活用が模索されてゆくことになります。なお、日本鉄道保存協会では環境が整うまでこの車輌群を公開することはありません。

(引用元:編集長敬白: 日本鉄道保存協会2011年度総会より。(上) 

    コレクションの実物を公開するのは難しいとしても、40年以上も死蔵されている車輌群の、陣容やら現状やらは、公にしてくれてもよいだろうに。その存在が明らかになったというだけで、相変わらず話は噂レベルで止まっている。


(2017年5月追記)
    ブルーシート包みの蒸気機関車、その中身の現在の姿がネット上にあった2016年12月、札幌学院大学生活協同組合のTwitterアカウントが載せたもので、コメントによれば「不思議なことに姿を現して」いたという。機関車が正面に掲げるナンバープレートは「102」で、やはり茂尻の102号機であった。
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(2017年10月追記)
    2017年10月25日から26日にかけて、102号機はトレーラーに載せられ、「倉庫」の敷地へと移動した。作業中、全身を覆うブルーシートは取り払われ、本機の現況が明らかになった。その様子は「江別・野幌情報ナビ」のこちらのページで詳しく報告されている。現在はブルーシート包みの姿に戻ったようだが、いつの日か公開される時が来ると信じよう。

(2017年10月・加筆)