カテゴリ:

「山田コレクション」と「二棟の倉庫」の続き。

 長期にわたる秘匿のため、「山田コレクション」の内容は判然としない。唯一の「公式発表」たる「編集長敬白」の記事では、次のように書かれている。

 4122号機を含む2輌の4110形、2輌のB6、9615など5輌の9600形、夕張鉄道の12号機や雄別鉄道のC11など12輌の蒸気機関車と、客車、貨車、除雪車など総計15輌

 日本鉄道保存協会の資料に拠るものだろうから、「コレクション」の中身を(2011年10月時点で)一番正確に示しているはずだが、細かな1輌1輌については、ほとんど明らかになっていない。
 だが正確さを欠いた、噂程度の情報ならば、保存機関車や炭砿鉄道を取り扱うホームページやブログやWikipediaで、散発的に見受けられる。そこでネットに加えて、手持ちのRail Magazine 113号、機関車表」「新・消えた轍」第1巻、「『SL甲組』の肖像」各巻、およびGoogle Booksにあった「9600 ニッポンの蒸気機関車」の記述を参考に、「コレクション」の蒸気機関車のリストを作ってみた。括弧内に示した履歴は、機関車表から適宜抜粋したもの。なお、元にした情報に異同があったため、「コレクション」に属する可能性のある機関車はすべて示した。機関車の所属鉄道・車号の前に記した記号は、「コレクション」への所収が、◎:ほぼ確実、◯:やや不確実、?:疑問、を表している。写真はいずれも北海道新聞のデータベース「フォト海道」から引用した。

 ・2輌の4110形

◎美唄鉄道4(自社発注4110形・1926年2月製造・三菱造船所)

 1972年6月1日鉄道廃止
美唄鉄道4号機





※ Rail Magazine 113 に記述あり
※「江別市個人」機関車表に記載
※「江別市内の個人が保存(非公開)」Wikipediaほかネットに複数の記述あり
※ 「SL甲組」の肖像第3巻によれば、鉄道廃止直後の1972年8月、仙台駅で開催された鉄道100周年鉄道博覧会に展示するため、4号機は内地に渡り、同月の内に北海道に戻っている。山田コレクションに加わったのはいつだったのだろう。
 

◎美唄鉄道4122(←国鉄4110形4122・1914年3月製造・川崎造船所)

 1970年12月31日廃車
美唄鉄道4122号機






※ Rail Magazine 113 に記述あり

※「江別市個人」機関車表に記載

※「江別市内の個人が保存(非公開)」Wikipediaほかネットに複数の記述あり
 

 ・2輌のB6

◎三美運輸1号(←国鉄2500形2649・1905年10月製造・米Baldwin)

 1973年3月30日廃車
三美炭鉱1号機






※ Rail Magazine 113 に記述あり

※「北海道内某所・個人所有(非公開)」Wikipediaほかネットに複数の記述あり
 

◎三美運輸2号(←国鉄2120形2248・1905年製造・英North British Locomotive)

 1973年3月30日廃車

※「北海道江別市山田氏」機関車表に記載

※「北海道内某所・個人所有(非公開)」Wikipediaほかネットに複数の記述あり
 

 ・5輌の9600形のうち4輌

◎日曹炭礦天塩砿業所9615(←国鉄9600形9615・1914年1月製造・川崎造船所)

 1972年7月29日鉄道廃止
日曹炭鉱手塩9615号機





 

※ Rail Magazine 113 に記述あり

※「江別市個人」機関車表に記載

※「江別市個人保存」9600ニッポンの蒸気機関車に記載

※「江別市野幌で保存」Wikipediaほかネットに複数の記述あり
 

◎三菱大夕張鉄道No.3(自社発注9600形・1937年8月製造・日立製作所)

 1974年3月30日廃車

※ Rail Magazine 113 に記述あり

※「江別市個人」機関車表に記載

※「江別市個人保存」9600ニッポンの蒸気機関車に記載

※「江別市野幌で保存」Wikipediaに記述あり
 

◎三菱大夕張鉄道No.7(←国鉄9600形9613・1914年1月製造・川崎造船所)

1973年10月20日廃車

※「江別市個人」機関車表に記載

※「江別市野幌で保存」Wikipediaほかネットに複数の記述あり
 

◎三菱大夕張鉄道No.8(←美唄鉄道7←国鉄9600形9616・1914年1月製造・川崎造船所)
1973年10月廃車
44 





 

※「江別市個人」機関車表に記載

※「江別市個人保存」9600ニッポンの蒸気機関車に記載

※「江別市野幌で保存」Wikipediaほかネットに複数の記述あり
 

 ・残る9600形は、下記の3輌のうち美唄鉄道6の可能性が高い?

◯美唄鉄道6(←国鉄9600形69603・1922年9月製造・川崎造船所)

 1972年5月31日鉄道廃止

※「江別市個人保存」9600ニッポンの蒸気機関車に記載

※「(美唄鉄道の)4・6・4122の3輌は個人に買い取られた」新・消えた轍第1巻

※ Wikipediaに「静態保存」とのみ記述あり

※ ネットにごくわずかに「野幌の個人」保存の記述あり
 

?夕張鉄道23(←国鉄9600形9614・1914年1月製造・川崎造船所)

 1971年3月15日廃車

※「江別市個人保存」9600ニッポンの蒸気機関車に記載

※ 機関車表には保存の記載なし  

※ 保存の記述はネットに確認できず
 

?三菱大夕張鉄道No.2(←美唄鉄道5【帝国燃料興業(樺太)向け9600形】・1941年1月製造・川崎車輛)
 1974年1月15日廃車

※「現地で解体」機関車表

※「No.2、No.5、No.6の3輌はその後現地解体された」「SL甲組」の肖像第6巻

※「江別市個人保存」9600ニッポンの蒸気機関車に記載

※ 保存の記述はネットに確認できず
 

 ・夕張鉄道の12号機

◎夕張鉄道12(自社発注11形・1926年8月製造・日立製作所)

 1975年3月31日廃車
夕張鉄道12号機






※ Rail Magazine 113 に記述あり

※「北海道山田氏」機関車表に記載

※「江別市の個人に譲渡」Wikipediaほかネットに複数の記述あり
 

 ・雄別鉄道のC11

◎釧路開発埠頭C111(←雄別鉄道←江若鉄道C111「ひえい」・1947年4月製造・日本車輛製造)1975年9月23日廃車

※ Rail Magazine 113 に記述あり

※「江別市個人」機関車表に記載

※ 保存との記述がネットに複数ある
 

 ・残る1輌は前記事に示した通り、102(駐車場でブルーシート包み)か?

雄別炭礦茂尻砿業所102(三菱鉱業芦別専用線←日本冶金工業・1942年10月製造・立山重工業)廃車日不明(茂尻炭鉱の閉山は1969年5月、専用線の廃止は1974年10月)
01






※ 機関車表に保存の記載なし、また雄別炭砿茂尻鉱業所へ移った記載もなし(※※)

※ 北海道新聞に「江別の山田さん」への譲渡時の写真(1971年9月掲載)あり

※ 保存との記述がネットにある 
 

?雄別炭礦茂尻砿業所104(←三菱鉱業芦別専用線←日本冶金工業・1942年10月製造・立山重工業)廃車日不明(※※)

※「北海道江別市山田氏」機関車表に記載

※ 保存との記述がネットにある

(※※)ネットの写真をみて廻る限り、茂尻鉱業所の専用線で働いていた機関車は、102と103の2両であって、104ではなかったようだ。103は、102と同じ形式・同じ経歴を経たのち、茂尻を最後に引退し「樽前ハイランド」で保存された(のちに解体)。
茂尻炭鉱103号機






 機関車表において104は、102・103と同じく立山重工業製の軸配置C1、40tタンク式機関車となっているが、製造番号は不明で、日本冶金工業と三菱鉱業芦別専用線の項にも記載がない。またネットを含めて104の実物写真は一切見当たらず、その存在自体が怪しい。従って、この104は「山田コレクション」の一員として、102に代わって誤って設定された、架空の蒸機ではないかと考える。

 以上、蒸気機関車12輌のうち10輌はほぼ決まり、残る2輌も絞り込むことができた。

 あとは各1輌と考えられる客車・貨車・除雪車だが、いずれも美唄鉄道のものとする真偽不明の書き込みをネットに見かけた。その記述を鵜呑みにすると、除雪車は美唄鉄道のラッセル車、キ101(1929年、国鉄苗穂工場製、国鉄キ100形と同形)、客車は同じく美唄鉄道のナハフ1(1935年8月、日本車輛製造、17m級半鋼製2軸ボギー客車)だという。両車ともに美唄鉄道の自社発注車で、1972年6月の鉄道廃止まで在籍している。ナハフ1については、新・消えた轍第1巻の夕張鉄道の項にて「(夕張鉄道のナハニフ100は)江別市大麻で美唄鉄道のナハフ1と共に保存されたが、1985(昭和60)年に解体された」とだけ触れられている。 保存場所からみても、ナハフ1が「山田コレクション」の一員であった可能性は十分に考えられるが、解体を免れているのだろうか。
 最後の貨車については、今のところまったく見当がつかない。前記事で触れた、夕張鉄道のワフ4やト20が、残っているのかどうかも不明だ。

 秘仏のごとき「山田コレクション」の御開帳が待たれる。

(2014年8月・加筆修正)