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 2021年1月初頭時点での、日本全国の鉄道会社の「抗ウイルス加工」の実施状況を、WEB上の公開情報によって確認した。

 取り上げる鉄道会社は159社である。対象は、ケーブルカーを除いた鉄道車両を保有し、旅客営業を行う鉄道会社とした。結果として、何らかの「抗ウイルス加工」を実施したのは95社(60%)で、「抗ウイルス加工」実施の情報がないのは64社(40%)となった。「抗ウイルス加工」を実施しながら公表していない鉄道会社も存在すると考えられるが、実施の情報を確認できなければ、「なし」としている。

 「抗ウイルス加工」を実施した95社のうち79社において、製品名を記した。ただし、プレスリリースや報道において言及がないため、鉄道車両に掲示されるステッカーのデザイン等から推定したところもある。「抗ウイルス加工」の実施情報はあるものの、製品名が全く不明な鉄道会社は16社となっている。

 鉄道会社に採用された「抗ウイルス加工」製品は、判明したものだけで20種類を超える。複数社に採用された製品としては、20社に採用された「空気触媒セルフィール」以下、「エコキメラ」「銀担持酸化チタン触媒」が各8社、「YAMシリーズ」「レコナガード」が各6社、「キノシールド」「アドバンスコート」が各4社、「AT-254チタンコート」「Dr.ハドラス」が各3社、などとなっている。中小私鉄においては、その地方に所在する会社が取り扱う「抗ウイルス加工」を実施し、結果として1社のみの採用となっている製品も多い。

 以下、JR、北海道、東北、関東、甲信越、中部、北陸、関西、中国、四国、九州・沖縄、の11のグループに分けて、「抗ウイルス加工」の施工状況を列記する。


 【JR】
・JR北海道:なし
・JR東日本:なし
・JR東海:なし
・JR西日本:「空気触媒セルフィール」(在来線全車両)
・JR四国:なし
・JR九州:なし

 JR西日本を除いては「抗ウイルス加工」を実施していない。報道によれば、JR西日本は新幹線にも「空気触媒セルフィール」の施工を検討する旨を明らかにしていたが、今のところ実施の様子はない。

 【北海道】
・札幌市営地下鉄:「空気触媒セルフィール」
・札幌市電:「空気触媒セルフィール」
・道南いさりび鉄道:「YAMシリーズ」
・函館市電:なし

 【東北】
・青い森鉄道:「無光触媒エコキメラ」
・津軽鉄道:なし
・弘南鉄道:なし
・IGRいわて銀河鉄道:実施(製品名不明)
・三陸鉄道:「無光触媒クリーンエアガード」「光クリーンコート」
・秋田内陸縦貫鉄道:なし
・由利高原鉄道:なし
・山形鉄道:なし
・仙台空港鉄道:なし
・仙台地下鉄:「アドバンスコート」
・阿武隈急行:「無光触媒エコキメラ」
・福島交通飯坂線:「無光触媒エコキメラ」
・会津鉄道:「キノシールド」
・野岩鉄道:「銀担持酸化チタン光触媒」

 【関東】
・東武鉄道:「銀担持酸化チタン光触媒」
・西武鉄道:「YAMシリーズ」
・京成電鉄:実施(Ag+TiO2とあるが、製品名不明)
・京急電鉄:実施(製品名不明)
・東急電鉄:「銀担持酸化チタン光触媒」
・京王電鉄:実施(製品名不明)
・小田急電鉄:実施(製品名不明)
・相模鉄道:実施(製品名不明)
・東京メトロ:「シルフィーミストAG」

・関東鉄道:「YAMシリーズ」
・わたらせ渓谷鉄道:「アドバンスコート」
・上信電鉄:「アドバンスコート」
・上毛電鉄:「アドバンスコート」
・真岡鉄道:「ダイヤニウム」
・秩父鉄道:なし
・流山鉄道:「銀担持酸化チタン光触媒」
・鹿島臨海鉄道:「銀担持酸化チタン光触媒」
・つくばエクスプレス:「銀担持酸化チタン光触媒」
・ひたちなか海浜鉄道:なし
・銚子電鉄:「光触媒プロテクトライト」
・小湊鉄道:「次世代光触媒クオクリア」
・いすみ鉄道:「光触媒レコナガード」
・北総鉄道:実施(Ag+TiO2とあるが、製品名不明)
・新京成電鉄:「次世代光触媒クオクリア」
・山万ユーカリが丘線:なし
・東葉高速鉄道:実施(製品名不明)
・千葉都市モノレール:なし
・舞浜リゾートライン:「Dr.ハドラス」
・埼玉新都市交通:なし
・埼玉高速鉄道:「銀担持酸化チタン光触媒」
・新交通ゆりかもめ:なし
・東京都交通局:なし
・東京モノレール:「銀担持酸化チタン光触媒」
・東京臨海高速鉄道:なし
・多摩都市モノレール:なし
・横浜高速鉄道:実施(製品名不明)
・横浜市営地下鉄:なし(現状では実施の予定なし)
・横浜シーサイドライン:実施(Ag+TiO2とあるが、製品名不明)
・伊豆箱根鉄道:「YAMシリーズ」
・箱根登山鉄道:「YAMシリーズ」
・湘南モノレール:「Dr.ハドラス」
・江ノ島電鉄:なし

 乗客の「安心感」の醸成の効果を無視できないためか、関東大手私鉄各社はいずれも何らかの「抗ウイルス加工」を実施している。ただ、製品名を明らかにしていない会社が多い。また、関東の中小私鉄では、同一のグループ会社に属していると、同じ「抗ウイルス加工」を実施する傾向がみられる。

 【甲信越】
・富士急行:「無光触媒エコキメラ」
・長野電鉄:なし
・松本電鉄:なし
・上田交通:なし
・しなの鉄道:なし
・えちごトキめき鉄道:なし
・北越急行:なし

 甲信越の鉄道会社では、「抗ウイルス加工」の実施は低調である。

 【中部】
・伊豆急行:「無光触媒SKEBE-783」(「無光触媒エコキメラ」と同一?)
・岳南電車:「空気触媒セルフィール」
・大井川鉄道:「YAMシリーズ」
・静岡鉄道:「Ventil光触媒」
・天竜浜名湖鉄道:「無光触媒エコキメラ」
・遠州鉄道:なし
・豊橋鉄道:なし
・愛知環状鉄道:なし
・名古屋鉄道:なし
・リニモ:なし
・東海交通事業城北線:なし
・名古屋ガイドウェイバス:なし
・あおなみ線:なし
・名古屋市営地下鉄:なし(検討)
・明知鉄道:「イオニアミストPro」
・長良川鉄道:「イオニアミストPro」
・樽見鉄道:「イオニアミストPro」
・養老鉄道:「イオニアミストPro」
・四日市あすなろう鉄道:「空気触媒セルフィール」
・三岐鉄道:なし
・伊勢鉄道:「Dr.ハドラス」
・伊賀鉄道:「空気触媒セルフィール」

 愛知県の鉄道会社では、新聞の取材に対し名古屋市営地下鉄が「抗ウイルス加工」の実施の検討を回答しているものの、現時点ではJR東海や名古屋鉄道以下、1社たりとも「抗ウイルス加工」を実施していない。

 【北陸】
・あいの風とやま鉄道:「光触媒レコナガード」
・黒部峡谷鉄道:なし(2021年に実施を検討)
・富山地方鉄道:なし
・万葉線:「サンブレス光触媒」
・IRいしかわ鉄道:「光触媒レコナガード」
・北陸鉄道:なし
・福井鉄道:「空気触媒セルフィール」
・えちぜん鉄道:「空気触媒セルフィール」

 【関西】
・近畿日本鉄道:「SEIKADO SRW-30」(「無光触媒エコキメラ」と同一)
・京阪電鉄:なし
・阪急電鉄:「空気触媒セルフィール」「無光触媒エコキメラ」「新光触媒アヴァンコート」
・阪神電車:「AT254チタンコート」
・南海電鉄:「空気触媒セルフィール」

・近江鉄道:なし
・信楽高原鉄道:なし
・京都丹後鉄道:「空気触媒セルフィール」
・叡山電車:実施(製品名不明)
・京都市営地下鉄:「ラーフエイド」
・京福電鉄:「新・環境触媒クリーンフィックス」
・嵯峨野観光鉄道:「キノシールド」
・紀州鉄道:なし
・和歌山電鉄:「空気触媒セルフィール」
・水間鉄道:なし(「吊り輪カバー」を使用)
・泉北高速鉄道:「空気触媒セルフィール」
・阪堺電車:「空気触媒セルフィール」
・大阪メトロ:「空気触媒セルフィール」
・大阪モノレール:「空気触媒セルフィール」
・北大阪急行電鉄:「空気触媒セルフィール」
・山陽電車:「AT254チタンコート」
・神戸電鉄:「AT254チタンコート」
・神戸市営地下鉄:実施(製品名不明)
・神戸新交通:実施(製品名不明)
・能勢電鉄:実施(製品名不明)
・北条鉄道:なし

 コロナ禍の以前から大阪メトロや大阪モノレールなどが採用していた影響だろうか、関西ではJR西日本を皮切りに、「空気触媒セルフィール」が一大勢力を築いている。

 【中国】
・智頭急行:「空気触媒セルフィール」
・岡山電気軌道:「空気触媒セルフィール」
・水島臨海鉄道:「空気触媒セルフィール」
・井原鉄道:「光触媒レコナガード」
・アストラムライン:なし
・広島電鉄:なし(「Etak配合消毒剤」による消毒)
・若桜鉄道:「光触媒レコナガード」
・一畑電車:実施(製品名不明)
・錦川鉄道:なし

 【四国】
・高松琴平電気鉄道:「チタンコートアルファ」
・土佐くろしお鉄道:「キノシールド」
・とさでん交通:なし
・伊予鉄道:なし

 【九州・沖縄】
・門司港レトロ観光線:なし
・北九州モノレール:「光触媒トヨコート」
・平成筑豊鉄道:なし
・筑豊電鉄:「ナノ構造制御型次世代光触媒」
・西日本鉄道:なし
・福岡市地下鉄:なし
・甘木鉄道:「光触媒レコナガード」
・松浦鉄道:なし
・長崎電気軌道:「W-CAREコート」
・島原鉄道:なし
・熊本電鉄:「キノシールド」
・熊本市電:実施(製品名不明)
・くま川鉄道:なし
・南阿蘇鉄道:なし
・肥薩おれんじ鉄道:なし
・鹿児島市交通局:なし
・ゆいレール:なし

 今後、各鉄道会社の「抗ウイルス加工」の実施状況を適宜アップデートするとともに、不明となっている「抗ウイルス加工」の製品名を明らかにしていきたい。

(2021年1月10日日曜日・初稿)

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 2019年末から始まった、新型コロナウイルスの流行は、世界でも日本でもとどまるところを知らない。一向に収まる気配のない感染症への恐怖と、社会活動の「自粛」、さらには政府による緊急事態宣言も相まって、「コロナ禍」といわれる状況は数年単位で続くだろう。 

 「コロナ禍」は鉄道会社各社も襲っており、外国人観光客の消滅、旅行客や通勤客の減少によって、厳しい状況におかれている。

 そんな中、鉄道会社各社は「新型コロナウイルス対策」として、「お客様に安心感を与えるため」と称し、鉄道車両内に「抗ウイルス加工」を進めている。各社で実施されている「抗ウイルス加工」の製品の紹介を確認すると、その説明は科学的には「意味不明」と言って差し支えないものも多い。しかしながら、鉄道会社自身の広報や「抗ウイルス加工」実施に関する報道を読む限り、「安心感」を錦の御旗とし、「抗ウイルス加工」の実態や実効性はどうでもよい、としている印象が強い。

 2020年5月、JR西日本が在来線全車両への「抗ウイルス加工」の実施を明らかにした際、私は「抗ウイルス加工」の製品の「非科学」に驚いた。さらにその後の半年以上に渡り、関西の大手私鉄各社に始まり、関東の大手私鉄から地方の中小私鉄や第三セクターにまで、様々な「抗ウイルス加工」が導入されていく様子を、驚きと呆れをもって観察していた。

 鉄道を趣味とし、また科学に関心をもつ者として、この状況を整理し記録することに、何らかの価値はあるだろうと考え、実に3年ぶりにブログ記事を書く。

(2020年1月9日土曜日・初稿)

長浜鉄道スクエアのD51形(2016年11月)

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 北陸本線の長浜駅に隣接する「長浜鉄道スクエア」は、「旧長浜駅舎」「長浜鉄道文化館」「北陸線電化記念館」の3つの建物からなる。このうち「北陸線電化記念館」の館内には、蒸気機関車(D51形793号機)と交流電気機関車(ED70形1号機)が並べられている。

 D51 793号機は、三菱重工業神戸造船所で1942(昭和17)年11月18日に竣工し、東海道・中央西・北陸の各線を走り、1970(昭和45)年6月25日に廃車となった。廃車から4ヶ月後の10月21日から、長浜城の本丸跡地の豊公園に保存され、1995年に長浜駅南の現在地に移設、さらに2003年7月からは新設された「電化記念館」に収められ、現在に至っている。
 
 本機を屋外から「電化記念館」に収容した時の記録が、作業を担当した長浜の建設会社のホームページにある(→リンク)。曳家を専門とするこの会社の手で、機関車とレールをまとめて移動していく様子が紹介されている。解説によれば、D51 793号機の車輪はレールに溶接されているとのこと。保存車が屋内から屋外に追い出される例は多々あるが、逆のケースは珍しい。D51 793号機は幸運な保存車といえるだろう。
 
 WEB上のD51 793号機の写真は、保存後に撮影されたものばかりで、現役時代の姿はほとんどない。廃車時期が比較的早く、さよなら運転など晴れ舞台の経験もなかったためだろう。探索して見つかった現役時代の写真はわずか1枚、1968(昭和43)年8月に糸魚川機関区で撮られた、鷹取工場式の集煙装置を装備した姿だ(→リンク)。これ以外に、廃車後に集煙装置を外され、長浜駅の側線に留置されている様子が、1970(昭和45)年の秋にカラーで記録されている(→リンク)。このカラー写真により、D51 793号機の煙突が、集煙装置取り付けのため短縮されていることがわかる。また保存直前にはナンバープレートが緑色に塗られており、さらに煙突のトップや前部の握り棒など、現在では黒色で塗りつぶされている部分が、当時は金色や白色で飾られていたことも確認できる。
 
 本機の外見的特徴は、正面から見て右の除煙板の下端部の、三角形の切り込みである。上述の1968年と1970年の写真にも、この部分がはっきりと写っている。おそらく、機関車の誘導を行う職員が、先輪横のステップに足を乗せた際に、除煙板の前端の握り棒をつかみ易くする工夫と思われる。

 除煙板の切り込みは、D51 793号機に加えて少なくとも3両のD51形(89・688・876号機)に施工されたことが、写真記録からわかる。どの機関車も、金沢鉄道管理局に属していた時代に改造された模様で、いずれも松任工場の手によるものと考えられる。片方の除煙板の一部分のみで、見た目も地味な改造ではあるが、長浜の本機のほか、豊橋にD51 89号機が、また岡崎にD51 688号機が、切り込み付き除煙板を装備したまま、美しい状態で今も維持されている。そのうち実見しにいこう。
 
(2016年11月、長浜鉄道スクエア) 

ポッポ広場のD52形(2016年8月)

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 御殿場駅の北には「ポッポ広場」という名の公園があり、D52形72号機が保存されている。同機は1944(昭和19)年5月に川崎車輌兵庫工場で竣工、1954(昭和29)年12月以降、国府津機関区に所属し御殿場線で活躍した。電化に伴い、同線の蒸気機関車は1968(昭和43)年6月30日に引退する。D52形72号機はこの最終日を、正面にヘッドマークを掲げ、煙室扉周りに花飾りをちりばめ、側面にメッセージボードを載せた、派手な装いで過ごした。廃車は同年の8月8日付。同機は解体を免れ、国府津機関区の扇形庫内に長らく保管されたのち、1978(昭和53)年7月から御殿場市内の湯沢平公園に展示された。現在地への移動と整備が行われたのは、2010(平成22)年の9月から11月にかけてのことである。
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 戦時急造のため、代用資材を用いた部分が多く、出来もよろしくなかったD52形は、戦後に状態改善のための整備が行われた。72号機の場合、運転室の側面の「日本国有鉄道 浜松工場 昭和30年」の円形の銘板と、除煙板の穴から見える「ボイラ浜松工場製 昭和34年2月」と書かれた小さな長方形の銘板が、その整備の証である。
 現在、72号機の前面のナンバープレートは湾曲している。オリジナルは鋳造のはずで、このように歪むとは思えない。また、この曲がったナンバープレートの四隅のボルトは、現役時代にはなかったものだ。WEB上の写真を確認すると、引退後の国府津での保管中に、盗難にでも遭ったのか、元のプレートが消え、おそらく現在と同じ木製のものが取り付けられたことがわかる。なお、72号機の炭水車後部のナンバープレートも消失していて、こちらはレプリカもないまま、取り付け用の足のみが今も虚しく残っている。

(2016年8月、御殿場駅)

津和野駅前のD51形(2008年8月)

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 SL「やまぐち」号の終点である津和野の駅前には、D51形194号機が保存されている。同機は1939(昭和14)年3月25日に国鉄大宮工場で竣工し、津和野にある山口線管理所の所属となったのは、竣工から32年後の1971(昭和46)年3月25日のことだ。1973(昭和48)年9月30日には山口線の「さよならデゴイチ」列車の先頭に立ち、廃車は同年の11月30日だった。津和野の扇形庫に保管されたのち、町を見下ろす国民宿舎青野山荘に保存された。青野山荘は2003年3月をもって廃業し、放置され廃墟化していく施設と共に、D51形194号機も荒廃していったが、幸いなことに2006年5月に津和野駅前に移され、現在に至る。
 写真は2008年8月に撮影したもの。機関車の後ろに津和野駅の跨線橋が見える。白色や赤色の装飾が車体の各所に施されているが、現在では現役時代に近い黒一色の塗装となっている。ヘッドライトの後ろの箱は、山口線のトンネルと勾配に対応するため取り付けられた、長野工場式の集煙装置で、SL「やまぐち」号を牽くC56形160号機やC57形1号機も装備している。もう間もなく、SL「やまぐち」号の牽引機として、194号機と同形で、車番も近いD51形200号機が走り始める予定である。SL列車の運転が続く限り、D51形194号機は津和野駅前のシンボルとして、大切に維持されるに違いない。

(2008年8月、津和野駅) 

愛国駅の9600形(2008年8月)

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 帯広から南に伸びていた国鉄広尾線は、1987(昭和62)年2月に廃止となった。その途中駅である愛国駅は、近くの幸福駅とともに駅名のおかげで有名になり、鉄道路線が消滅した現在でも観光地となっている。愛国駅には駅舎とホーム、それに線路の一部が残り、蒸気機関車も1両保存されている。

 その機関車は、9600形19671号機。1918(大正8)年3月28日、当時の川崎造船兵庫工場で竣工し、北海道の鉄路を走り続けた。長らく追分機関区で働いた後、1972(昭和47)年9月1日に帯広運転区に移り、広尾線を最後に引退した車両だ。
 WEB上には、趣味者によって記録された、19671号機の現役末期の姿が多数ある。1970年代の同機は、何本かの黄色の斜めの帯が、正面の煙室扉、前部の連結器周りの端梁、除煙板の側面前端などに塗られていた。ゼブラ塗装、またはトラ塗り、あるいは警戒塗装と呼ばれる姿だ。貨物や入換に用られた蒸気機関車において、前頭部や炭水車後部のゼブラ塗装は、特に珍しいものではない。だが追分機関区に所属していた当時の19671号機は、入換専用機であったためか、炭水車が側面まですべてゼブラ塗装となっており、かなり目立つ姿だった。帯広運転区に移ったのちは、派手な黄色の塗装面積は少なくなり、入換のほか、広尾線や士幌線の貨物列車の牽引にも従事していたようだ。

 1975(昭和50)年5月3日、19671号機は広尾線の「SLさようなら列車」の牽引機となった。この晴れ舞台において、19671号機のゼブラ塗装は完全に消え、スノープロウの前端やボイラをまたぐハシゴなど、車体の各所に装飾の白塗りが施された。同じ9600形の9654号機が、同じようにメイクアップされ、両機の重連で列車を牽引した。2両の機関車は終点の広尾駅のターンテーブルで向きを変え、特製のヘッドマークを掲げた19671号機が、往復ともに9654号機を従え、列車の先頭に立った。
 「さようなら列車」の客車は7両編成で、その形式車番の詳細はわからないが、カラー写真を見る限り、帯広から広尾に向かって、|スハフ44青+スハ45青+スハ45茶+スハフ44青|+スハ45青+スハ45茶+|スハフ44(青?)の組成と思われる(スハフ44の前後の「|」は車掌室の位置を示す)。写真からは、満員の乗客と多数の撮影者による、お祭り騒ぎの熱気がうかがえる。

 イベントの翌月、1975(昭和50)年の6月25日に、19671号機は廃車となった。記念の列車の先頭を飾ったおかげか、同機は帯広の緑ヶ丘公園に保存され、その後、広尾線の廃線に伴い交通記念館として整備された愛国駅に移動し、現在に至っている。
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 私が現地を訪れたのは、2008年の8月。悪天候の続く寒い夏だった。雨に濡れた機関車は鈍い光沢を帯びており、露天展示による痛みは見られなかった。冬季にはシートで覆われるなど、19671号機は大切に維持されている。もう間もなくの竣工100周年も、無事に迎えることだろう。

(2008年8月、愛国駅)

銀河公園のC56形(2009年3月)

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 小海線の野辺山駅の前には、銀河公園という小さな公園があり、蒸気機関車が1両保存されている。この機関車はC56形96号機で、日本車輌名古屋工場において製造され、1937(昭和12)年3月15日に国鉄に納入、およそ10年を北海道で過ごした後に信州に移り、1973(昭和48)年7月20日の廃車まで活躍を続けた。

 同機が飯山線や小海線を走ったことは、WEBにある写真や動画で確認がとれる。だが、信州時代の所属機関区の変遷については、展示場所にある解説板、沖田祐作「機関車表」、WEB上の「デゴイチよく走る!」の機関車データベース、それぞれの記述がまったく異なっていて、どれが正しいのか判断がつかない。本機の機関車履歴簿を確認できれば、正解がわかるのだろうが、現存しているのかしら。

 廃車後、C56 96号機は野辺山駅の近くに設けられた「SLホテル高原列車」の一員として、5両の客車(オロネ10 2016+オロネ10 2071+オロ80 2008+オロネ10 69+オロネ10 28)の先頭に据えられた。この客車を並べたホテルは、オロネ10のA寝台の2段ベッドをそのまま用いて、1両あたり28名、4両で合計112名を定員とし、編成中央に連結されたオロ80の車内の畳敷のお座敷は、フリースペースとして用いられた。ホテル列車の営業期間は10年強で、往時の写真を見ると、樹木がぐんぐん成長していき、周囲の雰囲気がどんどん変化するのがわかる。ホテルの閉業後、客車はすべて解体されたが、機関車のみは移転し生き残ることができた。

 現在、C56 96号機の前頭部の連結器解放テコは、その半分が押し潰されたような形に歪んでいる。この状態は銀河公園への移設直後から、ずっと変わっていない。何かをぶつけた衝撃で変形し、以来ほったらかしなのだろう。部品を交換するなり、歪みを叩き直すなりして貰えれば、見栄えが良くなると思うが、屋根がある現状だけで、保存機としては御の字とするべきか。

(2009年3月、野辺山駅) 

吉松駅のC55形(2009年8月)

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 肥薩線と吉都線が分岐する、鹿児島県の吉松駅。その駅前には鉄道資料館があり、C55形52号機が保存されている。この機関車は、汽車会社大阪工場で1937(昭和12)年3月14日に製造され、2年ほど山陽地区を走った後、本州から九州に移り、鳥栖、大分、宮崎、若松、吉松の各機関区を経て、鹿児島機関区を最後に現役を退いた。大分機関区の在籍期間が最も長く、1939(昭和14)年から1964(昭和39)年まで四半世紀に及び、その間に除煙板の門鉄デフへの改修や、炭水車の振り替えが行われた。C55 52号機が廃車となったのは1975(昭和50)年2月17日のことで、C55 57号機(同年3月31日廃車)と共に、C55形最後の現役機となった。

 C55 52号機の吉松での展示は、廃車直後の1975(昭和50)年3月5日から始まった。現状では屋根も架けられており、とても良好な保存環境にある。冒頭の写真は、2009年8月に撮影したもの。当時の私は知識も興味もなかったため、機関車の細部はおろか、斜め前からの全景も撮影していない。だが幸いにも、正面から撮影した写真には、向かって左上のデフのステーから立ち上がるリンゲルマン式煤煙濃度計の取り付け部や、本機のみが装備した面積の広い門鉄デフといった、特徴的なパーツが写っている。車体は黒光りしており、ヘッドライトも点灯していて、まるで現役機の様に凛々しい。

 C55 52号機は1953(昭和28)年に、C55形オリジナルの12-17形の炭水車を、D51 12号機の8-20形のものと交換した。同様の振り替えはC55 51, 53, 54号機にも実施され、石炭の最大積載量は12tから8tに減ったものの、水の積載量は17tから20tに増え、長距離運用が可能となったと、雑誌やWEBに書かれている。だが、この4両のC55形が、何の列車のどこの区間のロングランを担当していたのかが、分からない。大分機関区の受け持ちであるから、おそらく日豊本線の急行列車かと思われるのだが、記録者の少ないこの時代の情報は、簡単には探し出せなかった。調べるべき事項が、また増えた。

参考:「鉄道ファン」1997年10月号特集「機関車C55・C57」

(吉松駅、2009年8月)

上毛高原駅前のD51形(2008年12月)

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 上越新幹線の上毛高原駅前には、数年前までD51形745号機が展示されていた。この蒸気機関車は日本車輌名古屋工場製で、1943(昭和18)年8月30日に竣工、関東を走り続け、高崎第一機関区を最後に1970(昭和45)年9月9日に廃車となった。同年10月14日に準鉄道記念物の指定を受け、高崎鉄道管理局にて保存。その後、上毛高原駅前に展示されたが、「あぶない‼︎うえにのってはいけません。」の注意書きや、テンダーに取り付けられた解説板と共に、2011年11月に水上駅の転車台広場へ引っ越し、現在に至っている。
 私が上毛高原駅を訪れたのは、2008年の12月。長期の屋外展示の割に、D51 745の痛みは少なく見えたが、キャブの非公式側の窓ガラスと窓枠が無くなっていた(左写真)。水上駅への移設後も、機関車の本格的な修繕は行われていないようだ。準鉄道記念物である以上、JR東日本の管理下にあるはずなので、見た目は多少ボロでも静態保存機としては安泰だろう。
 2011年の移動の様子はWEB上に無数に記録されているが、それより四半世紀は昔のことと思われる、D51 745の上毛高原駅前での展示開始時期に関する記述はどこにも見当たらない。上越新幹線の駅が開業した、1982(昭和57)年11月15日の前後の「鉄道ファン」や「鉄道ジャーナル」のページをめくってみても、D51 745が登場する記事は見つからなかった。気にはなるが、まるで益のない話なので、のんびり調べよう。

(2008年12月、上毛高原駅) 

中山平温泉駅のC58形(2008年8月)

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 陸羽東線の中山平温泉駅には、一台の蒸気機関車が置かれている。このC58形356号機は、川崎車輌兵庫工場で製造され、1944(昭和19)年1月21日に竣工した。王寺、宮古、盛岡、八戸の各機関区を経て、1972(昭和47)年6月26日に小牛田機関区の配置となり、1973(昭和48)年6月16日に廃車となった。陸羽東線の貨物列車の先頭に立つ、現役時代末期のC58 356の姿が、鉄道ホビダス「国鉄時代」にある(リンク)。
 私が中山平温泉駅にC58 356を見たのは、2008年8月のこと。引退から35年を経た同機は、屋外にあるためか相当くたびれていた。気象庁によれば、中山平に近い川渡における降雪量は、1981〜2010年の平均で年間462cm、同じく最深積雪の平均は53cm。雪をさえぎる覆いはなく、雪下ろしもされないため、機関車の損傷は年を追うごとに進む。2016年現在のC58 356は、ヘッドライトの主灯が垂れ下がり、予備灯が無くなり、さらに悲惨な姿になっている。このまま朽ち果て、やがて解体という最期を迎えるのだろうか。

(2008年8月、中山平温泉駅) 

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