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ヴェネツィアのCarinthia VII

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 ヴェネツィアを一望できるサン・ジョルジョ・マッジョーレの鐘楼。天気のよい夕方、その景色を楽しんでいると、水上バスやフェリーにまじり、格調高い大型ヨットがやってきた。金文字でCarinthia VIIと名乗り、白い船楼に紺の船体、掲げる旗は赤白のオーストリア国旗だ。
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 どこぞの王族の船かな、でもオーストリアって共和国で内陸国だよな、と思ったきりで長らく忘れていたが、写真を見直すついでに検索してみたら、情報はすぐに出てきた。
 所有者は、ドイツで百貨店やスーパーマーケットを経営していたドイツ人男性 Helmut Hortenの、32歳年下のオーストリア人未亡人で大富豪、Heidi Horten。その持ち船「Carinthia VII」は2002年のドイツ製で、乗客12名、乗員15名、巡航速力22kt、全長97m、総トン数3643tと、世界有数のヨットだった。船首に書かれたHは船主の名を示していたのだな。

(2013年3月撮影)

「ボローニャの虐殺」

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 イタリア、ボローニャ駅。列車乗り換えのためのわずかな待ち時間に、必ず見ておきたい場所があった。写真左側、駅舎の壁面に、明らかに歪な形をした、屋根まで達する窓が見える。


 1980年8月2日午前10時25分、ボローニャ中央駅(Stazione Bologna Centrale)で大爆発が発生した。2等待合室に仕掛けられた爆弾が炸裂し、同待合室ととなりの1等待合室、食堂などが原型を留めぬほど破壊された。飛散した瓦礫は、ホームに停車中のアンコーナ発キアッソ行きの旅客列車にも直撃した。85人が死亡し、負傷者は200人を越えた。
 この「ボローニャ駅爆破テロ事件」は、イタリア国内でテロや暗殺が多発した、1960年代から80年代の通称「鉛の時代」に起きた大事件の一つであり、極右(ファシスト)テロ組織が実行犯とされた。ただ、捜査や裁判が二転三転し、政府機関の関与も指摘されるなど、真相は藪の中という印象も強い。
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 再建された現在の駅舎でも、2等待合室は爆破時と同じ場所にある。壁面には、「ファシストのテロの犠牲者」全員の氏名と当時の年齢が刻まれている。爆心地はそのまま残されていて、凹んだ床が柵で簡単に囲ってある。壁の歪んだ大きな窓も、破壊された旧駅舎の一部を保存したものだ。
 この事件はイタリア語で、"Strage di Bologna"と呼称される。「ボローニャの虐殺」である。死者のうち一人は日本人の旅行者で、犠牲者リストの左下に「SEKIGUCHI  IWAO 20」との記載がある。 


 混雑する2等待合室には、30年も昔の事件の碑を気にする人などいない。だが私がカメラを構えると、何人かから目線を投げられた。同道の友人からは「暗くマイナーなものをよく見つけるな」と呆れられた。

Firenze S.M.N.駅のE.464形電気機関車

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  2013年3月、フィレンツェにいる間、何度かSanta Maria Novella駅に通った。
目当ては客車列車を引く電気機関車だったが、その全てがE.464形だった。

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15番線のE.464.207と16番線のE.464.477
ローマからフィレンツェへは、
左のE.464.207が牽くRegionale Veloceに乗って来た


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E.464.393牽引の列車が
FIRENZE S.M.N. Stazioneの3番線に入線する


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右奥にE.464.376、中央にE.464.476
左手前の列車もE.464牽引だった


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15番線のE.464.375
他のE.464では「TRENITALIA」と書かれている側面表記が、
「TREN」になっている


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上写真のE.464.375の反対側
こちら側も「TREN」の表記だ


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同じくE.464.375、左はE.464.505
画面奥にみえる鐘楼は、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会


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16番線のE.464.505
たいていの編成では、機関車の反対側は制御客車だったが、
この編成は両端ともにE.464だった


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16番線のE.464.355
E464.505とのプッシュプル編成


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上写真とは別の日に撮った、E.464.355
編成両端ともに確かにE.464だ


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16番線のE464.524


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E.464.507
パンタグラフのあげ方は、前だけ、後だけ、
あるいは両方と、一定していない


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E.464.677
ナンバーの表示位置が変わり、
「E」も省略されている


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E.464.679
外見を眺める限りでは、ナンバー表記変更のほか、
ジャンパ栓が赤色になったぐらいで、
これまでのE.464と変わらないようにみえる


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E.464.679の反対側


   2013年2月、ボンバルディア社はE.464形電気機関車の最終製造機として、E.466.688をトレニタリアに納入した。E.464の製造は1999年から2013年まで15年間に及び、他の鉄道会社に納入されたものも合わせ、699両に達するとのことなので、イタリアの鉄道でこればかり見るのも、仕方のないことだ。


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 イタリア旅行中、フィレンツェに寄るならウフィッツィ美術館へ!何が何でも!と友人に主張した。GUNSLINGER GIRLでも「イタリアの宝」だって言っているしね!並ぶのが嫌だからと、€15で事前予約。指定時刻に窓口に行き、印刷を忘れていたためiPhoneの画面上でバウチャーを見せると、職員がpdfを検索してみつけ、OK。合理的だ。入り口はまた別で、X線で手荷物検査を受け、いざ入場。

 気に入ったものをじっくり、近くから、遠くからと舐めるように鑑賞する。その間に、日本人の団体が次々来て、案内人が解説しては、「はい次こちら~」と動いていく。団体ごとに絵の説明が結構違っていて面白い。数ある説のうちの一つですが、とちゃんと断っているガイドにだけ好感をもつ。 

 私は美術を趣味にしておらず、その知識にも乏しい。ただ、やはり「知っているつもり」になっていた絵画の、実物の迫力は全くもって違っていた。ボッティチェリなんか、写真で見ていた限りでは「何がいいんだ?」と常々思っていたが、 「春」も「ビーナス」も本物はすごかった。美しい。本当に美しい。女性の美を讃えるその絵の神々しさ。その場で印象を色々と書き綴ったが、今みるとあまりに駄文でここにも書けぬ。

ムッソリーニの墓

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    ファシスト党のドゥーチェ(統帥)、ベネト=ムッソリーニの墓は、彼の生まれ故郷である田舎町、プレダッピオのすぐ南、完全に町外れの教会墓地の一角にある。

    町から道なりに歩いていった結果、墓地に裏口から入ってしまい、ムッソリーニの墓がどこかわからずウロついていたら、にこやかなオジサンが「ドゥーチェかい?」と言ってきて案内をして下さった。周囲は一般の墓地だから、外部の人間が入り込んでたら、何が目的なのかはすぐわかる。

    正面から教会墓地に入った時、突き当りの建物の地下が、ムッソリーニ家の墓になる。ドゥーチェのほか、妻のラケーレ、息子や娘たち(ヴィットリオ、ブルーノ、ロマーノ、アンナ・マリア)の墓があった。ベネトとラケーレの子供達のうち、絶縁した長女エッダの墓はない。

    記帳台のノートにはイタリア語でたくさんのサインがしてあった。

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墓03
右の入り口に「CRIPTA MUSSOLINI」とある。

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    一週間前、イタリア旅行中の一日を使って、ベネト=ムッソリーニの生まれ故郷であり、その墓もあるプレダッピオを訪問した。私自身はイタリア語ができず、情報集めに難渋したので、現地に赴くという奇特な人のために、簡単に行き方を紹介しよう。

    プレダッピオ(Predappio)は、イタリア共和国、ローマーニャ地方にある田舎町。まずはイタリアの鉄道、Trenitalia(FS)のフォルリ駅(Forlì Stazione)へ。ここからプレダッピオまでバスが出ている。

    バスは2系統あり、平日および土曜日は、LINEA 96Aが1時間毎に、LINEA 129が数往復走っている。ただし日曜日や祝日は、LINEA 96Aは全便運休となり、LINEA 129の2往復しか動かないようだ。詳しくは、バスの運行会社であるhttp://www.atr.fc.it/のサイトで時刻表を確認のこと(イタリア語のみだが…)。時刻表はPDFになっていて、小文字のfが平日(土曜日を含む)運行を、大文字のFが日曜祝日運行を表す。筆者が訪れたのは土曜日で、休日扱いだと早合点してバスを乗り逃した。

    バスの切符はフォルリ駅にあるバールや、プレダッピオのタバッキで買える。目的地(PredappioとかForlì Stazioneとか)を言うと、2ユーロで②ゾーン、75分間有効の切符が出てきた。フォルリ駅のバスターミナルは、駅舎の南側正面に出てすぐ左手にある。いくつも乗り場があるので、事前に案内板で場所を確認した方がよい。

    「96A Predappio」と表示したバスはだいたい時間通りにやってきて、何の案内もなしにいきなり発車した。乗車後、車内で切符に乗車時刻を刻印させ、フォルリ駅からプレダッピオまでは約30分。あらかじめストリートビューでプレダッピオの町並みを確認しておいて、この辺というところで降りた。

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