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 ネットをさまよっていて見つけた、進駐してきたアメリカ兵が撮影した、終戦後の神戸港の潜水艦の写真。そこに写っていたのは、イタリア、ドイツ、日本の枢軸三カ国すべての海軍に所属した潜水艦、伊503の姿だった。
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 これがその写真。ネットの世界の引用基準はよくわからないので、画像のURLに直接リンクを張る。元記事はこちら。潜水艦の艦橋と、その陰にわずかに見える機銃台から、イタリア海軍コマンダンテ・カッペリーニ(Comandante Cappellini)から、ドイツ海軍UIT24を経て、日本海軍伊503となった潜水艦で間違いない。
Germany_submarine_UIT24_in_1944
 私がこれまでに目にした伊503の写真は、航行中を横から見たこの写真だけだ。ここではWikipediaから引用した。手持ちの本に載っているものとは背景の山の形が異なり、修正が施されているようだ。
 イタリア潜水艦コマンダンテ・カッペリーニは、1939年9月に就役し、まず大西洋方面で作戦に従事し、連合国の商船を5隻撃沈した。その後、物資輸送用の潜水艦に改装され、1943年5月にドイツ占領下のフランスから極東へ向かい、2ヶ月後にシンガポールに到着した。ところが1943年9月、母国イタリアは降伏し、枢軸陣営から脱落した。日本はコマンダンテ・カッペリーニを接収してドイツ海軍に譲渡し、同艦はUIT24と名を改めた。1944年2月には、フランスに戻るためインド洋に進出したものの、燃料補給の任に当たるドイツのタンカーがイギリス駆逐艦に撃沈されたため、作戦は中止となり極東に引き返している。Wikipediaから引用した写真は、ドイツ艦時代の1944年8月の撮影で、日本まで来航し三井造船玉野で整備を受けた際、瀬戸内海で撮影されたものという。艦上には乗組員が20人ほど見えるが、イタリア人乗組員の多くはそのまま乗艦していて、ドイツ人との混成チームになっていたとか。1945年5月にドイツが降伏すると、またも接収を受けて日本海軍に編入され、伊503と命名された。だが、同年8月の日本降伏までに、同艦が活動することはなかった。終戦後、1946年4月にアメリカ軍によって紀伊海道に沈められている。
 伊503は、三菱重工神戸造船所(以下、三菱神戸)で整備中に終戦を迎えたとのことなので、海没処分の前に、神戸港で係留された状態を撮影されていても、矛盾はない。艦隊決戦用に、基準排水量が2,000tを超える大型の潜水艦を主力とした日本海軍にとって、伊503は比較的小型な艦といえたが、その基準排水量は1,000tをわずかながら上回っていたため、伊号に分類されたようだ。(※日本海軍は潜水艦を大きさによって分類し、基準排水量1,000t以上の大型潜水艦を伊号(いごう)、500t以上の中型潜水艦を呂号(ろごう)、500t未満の小型潜水艦を波号(はごう)と呼称、さらに個別の艦を識別するための番号を付与した。500番台は海外から譲渡された艦や、接収した艦に付けられ、呂500呂501伊501伊506の計8隻が存在した。)
 さて、冒頭の伊503の周囲には、さらに3隻の潜水艦が写っている。せっかくなので、これらについても推定してみよう。まず、伊503の背後に写る、対岸に係留されている潜水艦は、潜高小型(せんたかこがた)波201型だ。本土決戦用に量産が進められた小型の水中高速潜水艦で、42隻が起工され、終戦までに10隻が完成し、残りは未成に終わった。Wikipediaの記事が詳しいので、写真に該当しそうな艦を探すと、川崎重工神戸工場(以下、川崎神戸)にて完成寸前だった波212か、三菱神戸で進水し、工程80%で建造中止となった波213が当てはまりそうだ。ここで写真の艦をよく見ると、艦橋に足場は組まれているが、ほぼ完成しているように見えるので、波212の可能性が高い。波212波213は、いずれも1946年5月に、紀伊水道で海没処分となった。
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 続いては、伊503の写真の左端に、艦首だけが写る潜水艦だ。これは、元のブログ記事で全体の写真が載っている。特別に大きな飛行機格納筒を装備する、この未完成の大型潜水艦は、特殊爆撃機「晴嵐(せいらん)」を搭載する、巡潜甲型改2(じゅんせんこうがたかいに)伊13型(Wikipediaの記事)だ。写真に該当するのは、未成に終わった伊15(2代目)だろう。この艦は、川崎神戸において工程80%で工事中止となり、1946年4月に紀伊水道で海没処分となった。伊15(2代目)の写真も、見るのは初めてだ。
Japanese_submarine_I-1_and_Ha-110_1945
 話が少し脇にそれるが、Wikipediaには、川崎神戸において伊15(2代目)とほぼ同時並行で建造され、やはり未成に終わった同型艦の伊1(2代目)と推定される写真が載っている。上に示した俯瞰写真で、左に写る大型潜水艦が、伊1(2代目)だという。本艦は1945年9月の枕崎台風によって神戸港に沈み、1947年4月に引き揚げられて解体された。神戸に進駐したアメリカ陸軍第33歩兵師団が、日本に上陸を開始したのは枕崎台風襲来の1週間後であり、伊503などを撮ったアメリカ兵が、沈没前の伊1(2代目)を目にすることはなかっただろう。
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 最後は、伊503の写真の右端に、艦尾が写り込んでいる潜水艦だ。これも伊503越しに撮られた全体の写真があり、潜輸小型(せんゆこがた)波101型(Wikipediaの記事)で間違いない。日本近海の離島へ、物資を輸送するために建造された小型輸送潜水艦で、10隻が完成し2隻が未成となった。該当するのは、川崎神戸において工程40%で建造打ち切りとなった波110か、三菱神戸で工程90%で中止となった波112だ。見た目から判断すると、艤装工事がほとんど行われなかったとされる、波110と思われる。なお、先ほどの伊1(2代目)の俯瞰写真で、右上に写っている小型の潜水艦も、波110である。波110波112はともに、1946年4月に紀伊水道で海没処分された。
 以上で、写真の潜水艦の推定は終わった。伊503波212伊15(2代目)波110は、整備中あるいは建造中に終戦を迎え、作業中止後、アメリカ軍に処分されるまでの間、一ヶ所に集められたのだろう。では、係留されている場所はどこなのか。元のブログ記事では撮影場所は特定されていない。神戸港なのは間違いないので、地図・空中写真閲覧サービスを使って、当時の航空写真を確認した。その結果、背景に写る建物などから、写真はいずれも、神戸港の第六突堤にて北向きに撮影されたことを突き止めた。
 USA-M18-4-60
 国土地理院からダウンロードした、上掲の航空写真の中央やや左下、狭い間隔で2本並んだ突堤が、第六突堤だ。この写真は、1948年2月にアメリカ軍が撮影したもので、もはや潜水艦の姿はない。なお、第六突堤は阪神大震災により損傷し、現在では埋め立てられて神戸港港島トンネルの出入口になっている。
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 突堤部分を拡大したもの。北(写真上)の細い2本が第六突堤で、南(下)の太い第五突堤とともに、1937年3月に完成した。第六突堤の中央には、荷役の艀用に長さ約400m・幅約50mの水路が設けられたが、終戦直後には、艀ではなく潜水艦が係留されたことになる。
 終戦時、神戸にて整備中あるいは建造中だった潜水艦で、紀伊水道に海没処分となった潜水艦は、写真から推定した4隻のほか、伊504川崎神戸、整備中)、波112三菱神戸、90%で中止)、波213三菱神戸、80%で中止)、波214三菱神戸、40%で中止)、波221三菱神戸、75%で中止)の5隻があった。各潜水艦の海没までの詳細は定かでないが、水路の長さからみて、第六突堤にさらに数隻の潜水艦が係留されていたとしても、おかしくはない。
 また潜水艦の写真の撮影時期は、アメリカ軍による第六突堤の接収から、紀伊水道での潜水艦の処分までの間、つまり1945年10月から1946年4月までのおよそ半年間、ということになるだろう。
10_008 
 もう一枚、同じブログ記事の写真で、北から神戸港を遠望した画像の中央にも、潜水艦が1隻小さく写っている。シルエットの船体と艦橋のバランスからみて、波201型か、あるいはイタリア出身の潜水艦伊504に思える。
 伊504はイタリアで完成し、伊503と同じような経緯で日本海軍の潜水艦となった。1940年5月に完成し、イタリア海軍ルイージ・トレーリ(Luigi Torelli)を振り出しに、ドイツ海軍UIT25から日本海軍伊504へと、掲げる旗を変えながら戦い続けた。最終的に川崎神戸で整備中に、終戦を迎えている。大西洋方面で連合国の商船を7隻撃沈する戦果をあげた後、物資輸送用に改装され、はるばる極東まで来航し、ヨーロッパには帰れなかったのも、伊503とよく似ている。伊504の最期もまた、これまで登場してきた潜水艦と同じく、紀伊水道への海没処分だった。
Luigi Torelli durante missione atlantica 1942 (SM)
 これは、1942年に大西洋で行動中のルイージ・トレーリとされる写真。主砲が撤去されたと考えれば、シルエットは近い。だが結局、神戸港に浮く潜水艦が、ルイージ・トレーリなのか、それとも別の潜水艦なのか、決め手はない。写真の撮影日が判明し、アメリカ軍や川崎重工、三菱重工の資料をよく調べれば、特定ができるかも、という程度だ。
 
 戦後、日本に上陸したアメリカ軍は、公式・非公式を問わず無数の映像を記録した。探せばまだまだいろいろ、未知の写真や動画があるに違いない。当時の写真を、ネットにアップして下さったことに大感謝である。それを偶然見つけられたことも、個人的に大変有意義だった。だが興奮のあまり、忙しいこの時期に、趣味のブログ記事の作成に丸二晩も費やしたのは、我ながらどうかと思う。

【参考】
※伊号潜水艦の記述は、下記の書籍に拠った。
「写真|日本の軍艦 第12巻 潜水艦」1990年7月発行
「歴史群像 太平洋戦史シリーズ Vol.17 伊号潜水艦」1998年1月発行
「歴史群像シリーズ 日本の潜水艦パーフェクトガイド」2005年4月発行
※手持ちの資料では、波号潜水艦の情報が乏しかったため、その多くをWikipediaの記述に拠った。
※第六突堤の情報は、神戸市文書館 神戸歴史年表(リンク)から得た。