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紀州鉄道キハ603の経歴

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(2015年10月撮影、紀州鉄道、紀伊御坊駅にて)

 紀州鉄道のキハ603は、かつて大分交通が新製したキハ600形(キハ601〜604)4両のうちの1両。キハ600形の最初の2両は、1956(昭和31)年10月に日本車輌で製造され、キハ601が耶馬渓線、キハ602が国東線に配置された。続いて1960年(昭和35)年8月には2両が新潟鐵工所で増備され、こちらもキハ603は耶馬渓線、キハ604は国東線と、分かれて運用された。
 
 最初の2両と追加された2両とでは、外見に差異があった。Hゴム支持の正面の2枚窓は、日車製の方が上下寸法が大きく、窓周囲の凹みには、窓の形に合わせたRがついていた。新潟鐵工製の方では、窓は少し小さくなり、その直下に通風口が設置され、さらに窓周囲の凹みも、Rのない角ばったものになった。個人的には日車製の方がスマートに見え、新潟鐵工製の方は野暮ったい。また、屋根上のベンチレーターも異なっていて、日車製ではガーランド、新潟鐵工製では押し込み型だった。
 
 大分交通では、気動車の前面に平仮名で愛称を表示していた。キハ601は「やまびこ」、キハ603は「かじか」、キハ602は「しおかぜ」、キハ604は「なぎさ」であった。それぞれ、日豊本線の中津から山の中へ向かう耶馬渓線、あるいは、日豊本線の杵築から海沿いを行く国東線にちなんだ命名だった。
 
 国東線が1966(昭和41)年3月を以って廃止されると、同線にいたキハ602とキハ604は耶馬渓線に移った。活躍場所を変えたため、「しおかぜ」と「なぎさ」の愛称は外された。キハ600形は4両揃って、耶馬渓線の主力として働いたが、1975(昭和50)年9月末には耶馬渓線も全線廃止となり、大分交通は鉄道事業から撤退した。
 
 大分での10年間の仕事を終えた翌年、キハ603とキハ604は紀州鉄道に引き取られた。キハ603に残っていた愛称名は取り外され、社紋がかえられたほかは、塗装も車番も変更されなかった。2両の入線に伴い、それまで紀州鉄道で運用されていた、車号も車歴もバラバラな戦前生まれの気動車(キハ202、キハ308、キハ40801、キハ16)は順次引退していった。
 
 以後、キハ603とキハ604は、1984(昭和59)年頃のドアエンジンの設置に伴う客用ドアの交換(窓が小さくなった)、1989(平成元)年の紀州鉄道のワンマン運転開始に合わせた装備の追加、腰部へのヘッドライト増設、前面窓支持方式のHゴムからサッシ枠への変更、といった改造を受けつつ、紀州鉄道の主力として走り続けた。
 
 2000(平成12)年7月、紀州鉄道初の冷房車として、レールバスのキテツ-1が北条鉄道から入線。キハ604が休車となるが、キハ603の運用は週末を中心に続けられた。紀伊御坊の側線に置かれたキハ604は、僚車のための部品取りにより荒廃していき、運用離脱から長らく経った、2010(平成22)年12月に解体された。
 
 2009(平成21)年9月、北条鉄道から2両目のレールバス、キテツ-2がやって来た。これにより、老朽化の進んだキハ603の引退が決まり、2009(平成21)11月のさよなら運転を以って、紀州鉄道での33年間の活躍を終えた。
 
 休車ののち、除籍となった今も、キハ603はかつてキハ604が置かれていた場所に保存されている。西御坊を向いた先頭部は、入線時の姿に近づくように手が加えられ、増設されたヘッドライトの撤去や、窓まわりのHゴムの再現が行われている。

庫内の紀州鉄道キハ603(2007年12月)

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 紀州鉄道を初めて訪れたのは、2007(平成19)年12月末。この時、キハ603は運用に入っていなかったが、庫内にて整備中のところを見学することができた。

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 「人KENまもる君」は「アンパンマン」のやなせたかしデザインで、法務省の公式キャラクター。鉄道車両のヘッドマークになっていた例は、紀州鉄道のほか知らない。最初はご当地キャラクターかと思ったが、違った。差別は根深く残っている。

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 塗装前の社紋のマスキング(おそらくまだ途中)が面白い。整備を担当している日鐵運輸は、新日鉄のグループ会社。紀伊御坊の車庫に出張していたのだろうか。

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 紀州鉄道の「鉄」は「金を失う」なのだ。「新潟鐵工 昭和35年」と書かれた車内の製造銘板は、左上が重なって歪んでいる。日鐵運輸の検査標記も、数字の修正が適当だ。

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 運転台と客席の間の仕切りはシンプルで、乗員扉も片方のみ。運転台は、後年付け加えられたワンマン関連機器でゴチャゴチャしている。速度計は、速度のKM/Hとエンジン回転数のR.P.M.が重なって表示されるもの。目盛りを読むと、30km/hと1000rpmが同値になっている。運転台の座席も丸みを帯びた古風なデザインで、座り心地は悪そうだ。客席側に目を転じると、白熱灯の電球、座面の低いセミクロスシート、木製の床。夜に走っているところを乗りたかった!床面の蓋は、床下に装備したエンジンの点検用だ。

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 装備するDMH17エンジンとTC-2トルコンの組み合わせは、製造時から変わらない。油ぎったエンジンの外見から、縦型のDMH17であることはわかるが、これがDMH17Bなのか、それともDMH17Cなのか、知識のない私には見分けがつかない。庫内にはもう一台、部品の欠けているDMH17にカバーがかけられていた。「古いエンジンで予備部品がないから、JRから貰った」と伺ったと記憶している。

 これ以降、2015年の10月まで、私に紀州鉄道を訪れる機会はなく、2009年11月に引退したキハ603の乗り心地を楽しむことはできなかった。

(2007年12月、紀州鉄道、紀伊御坊駅にて) 

紀州鉄道三世代揃い踏み(2015年10月)

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 2015年10月末、指導教員のいない日を見計らって研究室を抜け出し、和歌山を訪れた。目的地の一つは紀州鉄道。その車庫には、新たな中古車が運ばれてきたばかりで、全長2.7kmしかないミニ私鉄の、過去、現在、未来を支える車輌が揃っていた。現地に到着したのは夕刻になったが、日没までの間、所属車輌を丹念に眺めることができた。
 引退して保存されているキハ603、故障して休車中のキテツ-1と、唯一稼働しているキテツ-2、新入りのSKR301。4両ともよそから来た車輌で、紀州鉄道入りの前は、キハ603は大分交通の気動車、キテツ-1とキテツ-2は北条鉄道のレールバス、SKR301は信楽高原鐵道の軽快気動車と、出自も形態も多様だ。
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 JRから乗り換えたレールバスを、紀伊御坊駅で降りる。2軸車独特の揺れとともに、キテツ-2が去っていく。留置中のキハ603のバス窓には、SKR301が写り込んでいる。
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 駅舎を出て、南側の駐車場から見る、三世代の気動車の揃い踏み。最新の中古車のSKR301は、車庫前で整備中。塗装はまだ信楽高原鐡道を走っていた時のままだ。ただ、信楽の象徴だった、側面のタヌキの絵とSKRの文字は灰色で塗り潰されている。「回送」幕を出し、キハ603と同じ側線に並んでいるのはキテツ-1。西御坊を向いたヘッドライトの上には、ちょうど全日程を終えたばかりの「2015紀の国わかやま大会」のステッカーが残っている。 
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 北側の空き地からの眺め。真ん中のSKR301は台車を抜かれてダルマさん状態。キハ603は引退して数年たっているが、たびたび塗り直されているようで、雨染みはあるがきれいな姿だ。一方、キテツ-1は錆が目立ち、剥がれかけた「休車中」の文字も悲しい。SKR301の整備が終われば、キテツ-2が予備に廻り、キテツ-1は廃車となるはずだ。
 停まっている3両に、運用中のキテツ-2も加え、紀州鉄道の全車輌を一枚に収めた写真を撮ろう思ったが、日が沈み、所用もあってあきらめた。

(2015年10月撮影、紀州鉄道、紀伊御坊駅)

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