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 2015年8月16日、送り火を見に来る観光客をさばくため、嵐電は終日2両運転となっていた。夕方に外を出歩いていたら、モボ501がモボ301と、モボ502がモボ101と組んで動いていた。とっさに手元のiPhone6で記録したが、一眼レフを使い慣れている身には酷な仕上がりの写真となった。撮影地は、左上のモボ501のみ嵐電天神川駅で、残りは全て帷子ノ辻駅。

 現存するモボ501形2両の車体塗装はそれぞれ異なっていて、モボ501は登場時のまま(車体上部:ライトグリーン・下部:グリーン)だが、モボ502は京福色(上部:ダークアイボリー・下部:ダークグリーン)に塗り替えられている。嵐電全体では、京福色から京紫カラーと呼ばれる紫一色の車体塗装への塗り替えが進んでいるが、今のところモボ501形に波及する様子はない。

 モボ501とモボ502は、京福電鉄嵐山線初の冷房車として、1984年10月に竣工した。鉄道ファン1985年2月号の新車ガイドに、京福電気鉄道鉄道部業務部長の吉岡壽一氏による「モボ501形登場」の記事が載っている。

    記事にある1984年11月撮影の写真と、2015年8月時点の外観とを見比べると、方向幕の「ワンマン」の字体が変わり、同じく方向幕に英字が追加され、前面バンパーに蛍光標識が付き、スカートの切り欠きが長方形から台形に拡大されている。スカートの穴は、連結器が支障でもしたのか、登場翌年までには拡大されたようだ。

 新車を導入する際に車体だけを新しく製造し、台車や電装品を中古品で済ませたり、あるいは車両の古くなった機器を新しい機器で置き換え、車両そのものは継続して使い続けたりといったことは、どこの鉄道でも見受けられる。嵐電はこの手法を頻繁に使っていて、所属車両のほとんど全車に、機器流用の履歴がある。モボ501形もまた、旧型車の台車を流用して製造され、廃車となると、その台車を供出した。

 1984年10月に登場した、モボ501とモボ502は、当初それぞれ別の台車を履いていた。
 モボ501は、モボ111形モボ114から引き継いだ、住友製のKS46L形台車を装備した。同車は、長い間その台車で走っていたが、2011年12月に川崎製BWE-12形台車に履き換えた。汚れひとつないBWE-12形台車を履いた、クリスマス撮影のモボ501の写真があるため、交換はおそらく12月の上旬以降だろう。また、このBWE-12形台車はタイミングからみて、モボ611形モボ616が、2011年5月の機器更新まで履いていたものではなかろうか。
 モボ502は、モボ121形モボ129から流用されたBWE-12形台車を装備した。モボ502は一貫してこの台車を履き続けており、モボ501の台車換装によって、現存するモボ501形の台車形式は同一となっている。

 1985年9月に竣工した、モボ501形の増備車、モボ503とモボ504もまた、それぞれモボ121形モボ130、同形モボ128から流用した、川崎製BWE-12形台車を履いていた。この2両は、登場から約15年で早々と引退し、モボ503は2001年5月、モボ504は2000年10月に廃車となった。両車のBWE-12型台車は、履き換えの時期は不明だが、モボ611形モボ612と同形モボ616が引き継いだ。

 モボ616は、前述の通り2011年5月の機器更新により、住友製のFS93形台車に履き換え、BWE-12形台車をモボ501に譲渡している。従って、現在のモボ501が履く台車は、モボ503かモボ504のいずれのものかは不明だが、かつての同型車の形見と言える。
 モボ612は、2014年下半期から2015年初頭の間(時期特定できず)に、モボ616と同様の機器更新を受け、FS93形台車を装備した。モボ612が履いていたBWE-12形台車は、どこへ行ってしまったのだろうか。

 最後にもう一つ。現在の嵐電のホームページには、モボ501形は「東京都電をモデルにしたといわれている」と記述されている。たしかに、傾斜した正面の1枚窓や、その上部の行先方向幕の配置など、モボ501形と都電7000形の更新車(1977年登場)はよく似ている。しかしながら、鉄道ファン誌のモボ501形の新車ガイドの記事では、この類似について言及はなかった。言わぬが花ということか。

(2015年8月撮影)